病んだヨギーの日々(2021年4月27日現在)

就職してしまったヨギーの雑記

かっこいいと思う生き方

沖縄本島から東へ400kmにぽつんと浮かんでいる離島、南大東島。そこでカボチャ農家のバイトをしながら、本州に戻ったときに絶対これやろう、と心に決めたことリストの中に、「ロード・オブ・ザ・リング」3部作をもっかい見る、というものが入ってました。なぜかと言うと特に理由はないんですが、これしたいってことなんてそんなものでいいんじゃないかと思います。

 

で、先日見事3日かけて3部作見ました。第3作目が放映されたのが2003年というから、もう14年も前の映画なんですねー。この映画はもう何度も見てましたが、何度見ても楽しめる映画でした。

 

で、この3部作を連日見てて、一番ぐっときたシーンというのが、第1作目の終盤、ボロミアが弓矢の攻撃を喰らいながらも戦うところでした。このシーンのとき、「あーもうすぐあのシーンだな」とわかっていたにも関わらず、鳥肌が立つくらいに心が動きました。

 

自分が何かに感動した時、その理由を解説するのは得意じゃないので、気になる人は見ましょう「ロード・オブ・ザ・リング」。人によって感じるものは違うでしょう。このシーンを見て「めちゃかっこいい」と思った人は...うん、そういう人がいてくれたら個人的にうれしく思います。

 

「そうだよなー人間なんて私利私欲で動くことばっかだよなー」と思う日々の中で、自分の利害なんてどこ吹く風で人の為に何か出来ると、映画で見たかっこいい生き方に近づけた気がして、生きてるのが楽しくなります。僕の人生が終るまでに、文字通り命をかけて誰かのために何かをするってことがあるかどうかわかりませんが、正しい死生観を育てていきたいと思います。

 

他にもかっこいい生き方はあるだろうし、そういう生き方がずっと出来る訳ではないでしょうけど、たまにでもそういうかっこよさに近づけたら人生いい感じなんじゃないでしょうか。あ、なんかもうめんどくさくなったんで終ります。

 

以上

たまにやる不摂生

現在深夜1時。そんな時間にブログ更新なんてしてます。普段はこんなこと絶対しないんですが。でも今日はこれでいいと思ってます。夜11時にコンビ二でポテチとビスケット買ってきて、Youtubeで「クレイジージャーニー」を見ながら食う。で、このブログ書き終わったら読書でもするとします。今晩はそんな風に過ごそう、それでいい、そう思ってます。

 

普段だと、夜11時か12時には布団に入ってます。寝る4時間前には晩飯食い終わってて、それ以降何か食べるってことはしません。別に我慢してる訳ではなくて、自然にそういう風に過ごしています。が、今日はちょっといつもと違う時間の過ごし方をして、夜帰宅するのが遅くなってしまいました。トランプのカードで三角形の塔を作ってるときに、ちょっと一部崩れたりしたらもう全部手でぶっ飛ばしちゃう質なんですが、そんな感じで日常のスケジュールちょっと狂うと今晩みたく生活習慣ぶっ壊しのモードになったりします。

 

でも毎日同じように過ごすより、たまにこういうめちゃくちゃな時間の使い方してみるのも面白いもんです。何が?と聞かれると言葉にしづらいんですが。小学校の時に風邪で学校休んで、でも実は体調そんなに悪くなくてこっそり遊びに行ったり家で漫画読んでたりするのに似た感じだと思います。他の皆は今頃授業だけど自分だけは全く別の時間の過ごし方をしてるって思うとなんとなく面白かったり。これが残業だとか課題締め切りだとかで徹夜してるってなると話は別で、風邪で高熱が出てかなり苦しい思いしながら学校休んで家で寝てるような状態なんじゃないかと思います。それはつらいだけなのでこれからの人生で出来れば避けて通りたい出来事です。

 

今晩みたいに明らかな不摂生は明日からしばらくは、多分半年以上はすることないでしょう。もしかしたら数年、数十年ないかもしれませんし、これが最後かもしれません。毎晩気持ちよく就寝できる健康な人生を生きていたいです。が、まあたまには変調があったりしても「今日はこういう日か」とその時の気分でだらーっと過ごしていこうと思います。たまになんとなくやってしまうこんな不摂生に自己嫌悪を感じず、今日は風邪かしょうがない、と気楽にやっていこうと思います。何を言いたいかというと、基本健康に気をつけている方がいいけどたまにそれを完全無視するっていう不完全な生き方が人間らしくて楽しいんじゃないかなーと感じてるってことです。自分への言い訳もかねて。

 

以上

「社畜と幽霊」という漫画を読んだ

最近はこれといってすること(しないといけないこと)がないため、食って寝る以外に音楽を聞いたり絵を描いたり漢字を書いたり小旅行の計画立てたり漫画読んだり本読んだりこれから何するか考えたりってことを気の赴くままにやってます。することないから何かしよう、ということでやったことがそのうち収入源になったらいいなと夢見心地です。

 

一方、これやりたいな、と今思ってることにつながるかもしれない事業をしている会社を見つけたりして、「あ、渡りに船じゃん」とかって思ったりしてます。ただ、会社員になるのかーというところが及び腰です。何も悪いことしてないのにあの満員電車という罰ゲームに巻き込まれるのかと思うと。「何これ償い?これ原罪の償い?」とか毎朝思うことになるんでしょう。クリスチャンじゃないけど。こういうのに日々耐えてるってだけで「日本人に宗教はない」なんて主張が的外れなんじゃないかと思えてきます。お金を稼ぐには会社員でいないといけない。そのためにはこの満員電車という苦難を受け入れないといけない。定年退職する時に目の前にあるのは地獄じゃなくて天国なんでしょうか。めでたいですね。

 

そんなこんなで、どうするかは未だ未定です。「腹くくるかーどうしよかな」とかって考えながら、とりあえず漫画でも読もうと思って昨日見つけた漫画で面白いなと思った作品があったので紹介します。ほんとは僕は漫画にしろ音楽にしろ絵にしろ、「あ、これいいな」と思っても友人に勧めたりってのが苦手です。面白さやなにかしらの魅力ってものを伝える熱意がなさ過ぎるので。気になったら暇なときにチェックしてみて、くらいのどうでもいい感じで勧めるのが関の山です。なので今回もそんな感じでこの漫画をお勧めします。勧めると言うか、僕が読んでなんか面白いなと思ったってことを書きます。「社畜と幽霊」という漫画です。

 

となりのヤングジャンプ」という漫画サイトで見つけた漫画です。今全40話。どんな話かというと、社畜を幽霊が驚かそうとするけど、仕事で忙しい社畜はそんなんかまってられるかと全く相手にしてくれないって話です。はい。気になったら暇で暇でしょうがないって時にでも読んでみてください。それだけです。

 

思えば、漫画も本も記事も、とうてい一人で読み切れない量が至る所で出回ってるんでしょう。その中から良いものが発掘されていくには、こんな風にやる気ないながらも「こんなん読んだよ」とかって言っていくのがそこそこ意味があるって気がしてます。そういう意味では、時間を持て余してるニートってもしかしたらかなり価値があるんじゃないかという気がします。良い作品が世に広く認知されるきっかけをつくり、それが後々までのこったりしたら、世代を超える有意義なことをしたってことになるでしょう。良品を見つけるってことに特化したらそれでお金を稼ぐってこともできてくるでしょう。掘り出し屋として自分のブランドを築ければ、それはなかなかの武器になるんじゃないでしょうか。そんな希望あふれることを考えてます。なんか良い時代になりましたね。

 

以上

コンビニの店員は「いらっしゃいませ」なんて言わないでいいと思う

僕が今住んでるアパートから歩いて一分としないところに、セブンイレブンがあります。さらにそこから三十秒ほど歩いたところにファミリーマートがあります。そんな訳で、コンビニを結構利用します。が、入店する度に店員さんが発する「いらっしゃいませ」の声になんと対応したらいいのかとずっと思ってます。

 

そもそも「いらっしゃいませ」といわれたらなんと返せばいいのか?返しの定番の言葉なんてきいたことありますか?僕には思いつかないので、もう無視するしかないんですが、それは心苦しい。僕がだれかに「おはようございます」って言って無視されたら「え?なんか...え?」って狼狽することでしょう。そんなことを僕は他人にはからずしもしてしまっているんじゃないかと思うと、気持ちよくはないです。

 

これが、店に入ったらすぐ正面にカウンターとか商品棚とかが構えてあって店員がそこに居座ってるようなら、入店の時に「いらっしゃいませ」というのはわかります。僕の実家の近くにあった肉屋なんかに行くと、入り口の正面に肉の並んだ棚があって「いらっしゃいませー。今日は何にしますか?」とかって感じで、「いらっしゃいませ」で止まることはありませんでした。飲食店とかでも、「いらっしゃいませー」の後に「何名様ですか?」とか「お席の方ご案内します」とか「ご注文がきまりましたらお声がけください」とか、色々とついてくるので、こっちも「はい、ありがとうございます」とか、適当に返せる言葉があるんです。でもコンビニでは、店に入って何買うか決めて、そしてレジへ行くという流れなので、入ってすぐに「いらっしゃいませ」と言ってもそれで止まってしまいます。

 

そんな些細なところ気にしないでよくないか、と言えばそれまでかもですが、一応人が他の誰かに反応して挨拶(?)してるんだから、それを無視するのが当たり前、というのはおかしいだろうとゆずれない気持ちもあったりします。かといって自分自身何度も「いらっしゃいませ」を無視ってきたのも、やっぱり返す言葉が見つからないからでして。じゃあもう店員さんが「いらっしゃいませ」をいわなければいいんじゃないかというところに行き着きました。レジまで来た客の対応だけそこそこにやってれば良いじゃないか論。

 

多分コンビニの接客マニュアルに「客が入ってきたらいらっしゃいませ」というのが組み込まれてるんでしょう。だったらしょうがないんですが、もし仮にコンビニ全店で接客マニュアルの見直しが行われることがあれば、「客が入ってきたらいらっしゃいませ」を削除してほしいです。いらないものをけずればちょっとでも買い物が気持ちよくなるんじゃないでしょうか。

 

以上

漢字を書くことを楽しむ

今日は一日中雨で外出する気がおきず、飯食って惰眠をむさぼるという超ぐうたらな一日でした。農業バイトをしてたときはこんな風に時間をすごすことを夢見たんですが、いざそれが手に入ると「うわ寝すぎて頭痛するわ」と現実の厳しさ。芥川龍之介の「芋粥」のごとくです。

 

そんな一日でしたが、人間腐りきることも出来ないもので、何か有意義なことをしようと思い立ち、昼過ぎに本を読んでました。司馬遼太郎の「人間の集団について」という本。そして、本を読みながらもときどき中断しながらなんかおもしろいことないかなと考えてると、本の中で使われてる漢字をきれいに書いてみようと思い立ちました。これがけっこう良かった。司馬さんは語彙豊富だから、僕が普段書かないような漢字が使われてて、そういうのを見つけてはいらない紙に書写していく。「華」という漢字が、きれいに書こうとすると横線が多くて互いに微妙にずれた方向になったりして時間がかかりました。

 

こうして様々な漢字を書いてるとすっと集中力が上がったりして、手を動かすことが勉強の基礎だなと改めて思った経験でした。漢字なんて書く機会は少ない今の世の中ですが、暇つぶしとしては実は面白いんじゃないかと思ったりしてます。紙とシャーペンがあればすぐにできるし。

 

お金のかかる趣味に抵抗のある僕にあらたな暇つぶしが見つかったということで、意味のある一日になりました。あと、マッシュルームは卵といためて醤油とみりんで味付けするだけでもそこそこうまいということも発見できました。なぜマッシュルーム?というと、近くのスーパーで手頃な値段で売ってたからです。

 

以上

もやしがピンチ?

Yahooニュースで面白い記事が。

headlines.yahoo.co.jp

 

もやし。炒め物でも汁物でも簡単に使える便利で、何より安い貴重な野菜でした。そのもやしの生産者が、コストが増える一方で販売価格が下がっているという苦境の中で廃業し始めてるという内容です。

 

単純に、売値をあげればいいんじゃんって思うんですが、そうするとスーパーとか飲食店にしわ寄せがいくんでしょう。でも今のままだともやしの生産量が激減するかもなので、そうなると結局値上げでしょう。どんくらい生産量が減るかわかんないからどんくらい値上がりするかわかんないってよりは、今のうちに値上げはしょうがないって受け入れて妥当な値段で買うようにしといた方がいいかと思います。

 

安売りって買う方からしたらいいことなんですが、生産者のことも考えると妥当な値段で買い物するのが一番です。生産者が儲からないままだと、農業なんて誰もしなくなると思うので。僕自身農家でバイトしたりして、作業が楽じゃないのでこれで儲からなかったら農業なんてやんねえなと感じます。もやし栽培はそんなにきつくはないかもだけど、まあ儲からないと続けれないし。

 

消費者個人の損得勘定だと安く買える方がいいに決まってますが、それを買い物にくる人全員がやると第一次産業は儲からないものになってこんなんやってられっかと退出者が増加するのではというところまで考えてみて欲しいです。そうなるともやし買えなくなっちゃいます。

 

と、もやし生産の存続を思って書いてる訳ですが、僕はここ数年もやし食ってないしまあ別になくなったらなくなったでいいんでは?とか思ってます。言いたいことは、買い手の都合だけじゃなくって生産者の都合も含めて妥当な値段で買い物するのがいいってことです。

 

以上

検定試験とかの意味がそのうち変わるんじゃないかなーという私見

一昨日から沖縄の那覇に滞在中ですが、昨日、一昨日と天気が悪くて出歩く気にならず、しかも左足の踵が痛いという謎の症状も出て、観光とはほど遠い状況です。まあ自分のこれまでの経験上、観光なんてしても楽しめるかどうかわかんないんですが。そもそもここには観光に来てる訳でもないし。南大東島での農業バイトの疲れをいやすためにだらーっとしに、それと次のアパートに入れる日まで安く過ごすために、滞在しているといっても良いので、それでいうと目的は達成してます。毎朝好きな時間に起きて、食べたいときに食べたいものを食べて、雨が弱まったり止んだりしたときには近くの本屋にいってずらっと並ぶ本を眺めながら、おもしろそうな本にちょっと目を通したりして過ごしてます。かなり大きい本屋だったんですが、沖縄関連の本が多かったのが印象的でした。歴史的には沖縄ってもともと日本とは別の国で、それが日本の一部になって後々戦争に巻き込まれてその結果日本全体の7割の基地が建設されているって考えると、ここに暮らす人の基地反対の思いももっと理解できるのかもしれません。

 

で、結構な時間をその本屋で過ごしたりするんですが、今売れてる本とかの並んでるとこを見てみると「AIが登場して多くの仕事が奪われる」っていう感じの内容なんだなっていう本が何冊かありまして、「俺がやってたカボチャ農家の作業とかもAIで楽になるんかなー」とかってことを考えながらなおぶらぶらしてると、簿記検定とか英語試験の参考書とかの並んでるとこにきました。「会計も通訳も全部機械でやれるようになったらこんなん勉強して資格とる意味なくなるよなー」って思いましたが、案外そうでもないんじゃないかとも考えました。弓道とか剣道とか柔道とか、今では一般人にそんなに必要のない技術を使うスポーツが学校の部活や授業で行われていて、それで試合をしたりして中にはそれが楽しみだという人もいるでしょう。武士っていう、戦うことが仕事みたいな人にとってはそういうのは必要な技術だったんでしょうが、今では言ってしまえば個人の楽しみとか心身の鍛錬のためのものになってます。簿記とか英語とかも、一部の人の中でそういうものになっていくんじゃないかと。

 

今は仕事で使うからってことで使われてる資格とかも、その内そういう意味ではいらなくなって、今の剣道とかみたくやりたい人が趣味としてやったりするものになって、なくなるってことにはならないんじゃないかと思います。そろばんの大会みたいに、正確に早く問題を解くことを競う簿記の大会が開かれて、優勝した人には商品が出て、みたいな時代。僕自身、大学の簿記のテストで結構スリル感じながら問題解いてたんで、面白いって感じる人がいるはずです。

 

英語とかの語学も、自分で理解して使うってことの楽しさみたいなものがあって、そういう人は機械で通訳するより自分の言葉で外国人と話すほうに魅力を感じるだろうし。

 

だから、人間の仕事が機械に奪われるってことがこれから起きてくるでしょうけど、これまでと違う意味で(仕事とかで必要って訳じゃなくて趣味として)何かを勉強したいって人が増えて、そういう人向けに新たな仕事が出てくることもあるんじゃないかと思います。AIが仕事でどんどん使われるようになって、時間を持て余す人が増えれば、暇をつぶす何かをほしがって、楽しみを求めて勉強する人が増える。趣味でゴルフするみたいに。そんな世の中になればいいなーと思いながら晩飯に食ってた唐揚南蛮定食はうまかったです。

 

以上