病んだヨギーの日々(2021年4月27日現在)

就職してしまったヨギーの雑記

自分が理解できず苦しむ

先日、こんな夢を見ました。僕は広い遊園地みたいなとこにいました。この遊園地みたいなところは、僕が夢で何度も見る場所のひとつでした。そこで、ぶらぶら歩いてると、ふと目の端で僕の母親が歩いてるのを捉えました。その瞬間に、僕は「やばい!」と感じ、すぐに逃げ出しました。母親は僕に気づいたようで、追いかけてきました。僕はその遊園地らしき場所の中をとにかく逃げ回り、どうにか親から逃げ切りました。そして安心すると自分の部屋の中にいて、疲れたから寝ようと思い布団に入りました。すると、ふと目が覚めて、あたりを見渡すとなんと母親がそこに...というところで目が覚めました。

 

夢の中は全くもってカオスですが、ここ数日はリアルの世界の方でもなんとなく人付き合いが嫌になってきて、自分の部屋に引っ込んでることが多い状態になってます。こういうことはこれまでの人生で何度もあったんですが、どうしてこういう人嫌いモードになるのかはわからないままです。家族から距離をおきたいと常に思ってることと関係があるのかもしれません。もしかしたら僕は自分が思ってる以上に社会不適合社なんでしょうか。

 

自分が人の中にあって何を考えてるのか、どんな人が嫌いでどんな人とは話し易いのか、仲良くなる友人にはなにか共通点はあるのか。僕は数年間にわたって人と全くと言っていいほど話さない期間があって、その間に自分の中で考えだしていった世界観やらが今も心に粘ついてるのかとかって思ったりします。根本的には人を見下していて、皆汚いことを考えてて、でも自分は他人とは違っていて清潔で余裕で楽しく生きていける存在なんだなんて子供みたいなことを今も心の中で思ってたりするのかもしれません。低いようで高いのが血圧とプライドだと博多華丸大吉も言ってますし。まあ僕はどう控えめに見ても血圧は低いですが。プライドや自尊心は高いのかもしれません。

 

自分を理解することが重要だとかってことは何となく思ってはきましたが、今ほど迫って理解したいと思ったことはないかも知れません。理解することとわかることとは多分意味が違ってて、頭で「なるほどねえー」って感じる程度はまだ理解には至ってなくて、ほんとに理解できたら正しいとわかったことを実行に移すくらいなんだと思います。人間関係、親とはなんぞや、感謝するとはなんぞや、といったことが僕に理解できたら、こんな生き方は送らないでしょう。自嘲するのは好きじゃないんですが、まあこんな自分はバカなんでしょう。でもこの路線の上で行くとほんとに自殺とかしちゃうんじゃないだろうかとかって思えてきたりもするので、光ある人生を求めて大事なことを理解したいと思いながらパソコンに向かってます。こんなこと言いながらも、やっぱ親に感謝とかできそうにないなーとつぶやく自分がいます。宗教とかでいう「救い」とかってのが何から救われるのかってのの答えは今の僕が感じてるようなどうしようもない苦しみから、だと思います。そうだといいと思います。

 

以上