病んだヨギーの日々(2021年4月27日現在)

就職してしまったヨギーの雑記

表現方法としてのブログ

ブログを書いてsnsでシェアする。そういうことしていて考えること。「この行為にどういう意味があるのか」。これについて、人と直接面と向かう時には話すとこまでもっていけないようなことを伝えることができる、というのがあるなーと思ってるのでそれについて書きます。

 

自分の会話能力の低さはだいたい人と会うたびに意識するんですが、自分はほんとに気分屋で、話す気がしないときはとことん話さない人間です。さらに、ずっと一貫性のない人間ていうのが嫌いだったので、自分はそうはならないようにしてたのが裏目にでて、ある人の前で無口なキャラでいるとその後もずっとその人の前では無口キャラでいてしまうという呪いのような性質を開発してしまっているみたいです。

 

あと、いろんな意見とか価値観とかが出ているときに、それを否定する方に思考が向かい易く、口を開けば「それちゃうくね?」とか「意味なくね?」とかと言ってしまいそうになります。だてに23年生きてきた訳ではないようで「人は誰しも否定されたら嫌な気分になる」ということを学習した自分にはなかなか発言に及び腰になることが多いです。

 

そして、話題と興味の幅の狭さ。芸能関係×、スポーツ×、就活関係×、恋愛関係×、ファッション×、と、多分同世代がよく話題にしているであろうもののほとんどに興味がなく、まわりがそういう話題になって盛り上がってるときたいてい僕は「あー帰りて」って思ってます。こういうものに対してはコメントがそもそもできません。

 

そんなこんなで、人と会ってもあんま話すことができないので、こういう場で一方的に書き綴っているのがなかなかいい方法という訳です。そしたらそれをきっかけに「こないだこういうこと書いとったけど〜」となって、少しは話し易くなるかもなんで。これはリアルで関係のある友人知人についてのメリットですが、これ以外にも自分の書いた内容に共感した人がsnsでシェアするなりするってことが増えてくると、ちょっとしたメディアになると思ってます。そうなると、自分が面白い、価値的と思う情報をひろめるのにすごく役に立ちます。ど田舎の情報とか、個人レベルでないとなかなか拾えない情報を拡散して魅力を伝えたり。こんな社会不適合社にとっては住み良い世の中に生まれたんだと思って楽しく生きてこうと思います。

 

以上