病んだヨギーの日々(2021年4月27日現在)

就職してしまったヨギーの雑記

そろそろ親と向き合わなければ人生開けないな、と感じたけどどうしても会いたくないしゃべりたくないそんな僕が考えた解決策

人間、親には感謝しなければいけない。

 

なぜなら、この世に親から生まれずに存在している人間などいないから。

 

親がいるから自分がいるという、揺るがしがたい事実があり、それはそれはとてつもない恩なのです。そんな恩知ったことかという考え方の果てには自殺があるでしょう。僕は親に感謝したくないから自殺します、というほど意地の強い人間ではありませんでした。なので親への恩を報じなければならないと。

 

親として100点満点中80点以上をつけれるような親を僕は数えるほどしか見たことがなく、そしてその数少ない親の人たちも、子供として見たときにどこかしら欠点はあるでしょう。親としての心構えなど、なってみないと出来ない人が殆どであろうし、どんなに準備していても子供が出来てからのオンザジョブトレーニング形式でしか近づいていくことができないものだと思います。中にはまともな親になる前に子供が自立してしまうこともあるという。

 

僕がここまで分かったのはここ3〜4年のことでしょうか。頭では「親も子供が出来てから親1年生スタートなんだな」と分かっても、許せないところがあります。許せないというか、僕は実家の中での人格が心にこびりついてしまっていて、今更それを払拭して親と仲良く話なんか出来ないよ、という状態です。

 

それでも親には感謝して、恩返しをしなければならない。これは、僕の尊敬するある人の教えるところです。僕が生きていく上で色々と軸になるものをくださった方です。その人の言うことならすべて素直に聞くことが出来るのですが、親のことに関しては難しい。

 

僕は大学進学を機に実家を離れ、そして実家を離れてから「生きているのはこんなに楽しいことなのか」と、感動しました。親の顔も声も聞かなくていい毎日。最高でした。家事全般は高校生の頃から自分でしていたし、食事の用意も自分でしていたので、一人暮らしで困ることはなく。実家を離れて、むしろ生活の負担が減ったと感じれるほどでした。

 

そういう生活が始まってからもう7年。そつなく就職もし、何不自由なく生活してましたが、仕事のことでは色々あります。どうも今のままではこの職場つぶれちゃうな、というのが明らかなのです。転職や、フリーになって頑張る、という選択肢はいくらでもありますが、今の職場結構好きだし、こんな職場が増えれば日本が良くなるだろうなーと思うので、諦めたくはないし。

 

そんなことがある中で、ふと親のことが浮かぶのです。人生切り開く為に、個人の努力だけでは達成できない、ややスピリチュアルな領域の力があるなと。親に感謝もせずに生きていて、思い通りの人生を進んでいけるほど実力がある人間なのか自分は、と問うたとき、かなり不安なわけです。

 

でもでも、親の顔なんか思い出したくもないし、会ってしゃべるどころか、電話で話すのさえ気分最悪になるほど僕の中の対親人格はしつこいものです。感謝して恩返ししなされ、という声と、あんな親知るか、という声とがぶつかり合い、後者の思いの方が圧倒的に強いと。

 

それでも、こういうのは理屈じゃあどうにもならないことだし、なんとかできないか、と考えた末に「これでいこう」と出た解決策が、手紙を書く、です。

 

どうせ電話で話しても対親人格がでて声はくぐもり言おうと思ったことは声にならず、唸るように短く返答するだけで終わってしまうので、それなら頭のすっきりしていて言いたいことが伝わるように文章にして送ってしまえばいい、と。

 

というわけで、親に手紙を書きます。月一で書いていきます。そのかわり、期間無期限で親に会わない、電話に出ない、ということにします。これが親への感謝になるのかどうか、色々思うところはありますが、出来ることから始めようと前向きに捉えます。

 

嫌いなものは嫌いだし、親の前ではゾンビみたいな存在になってしまうし、という自分を認め、出来ることから。そのうち親の前でもそこそこ話せるようになるんじゃないでしょうか。

 

とりあえずこれでやってみて、だめだったらそのときにまた考えます。一歩踏み出してみて、その一歩がクレバスの上に踏み出されても、死ななければまた気をつけながら違う方法で進めばいいんです。

 

親との関係ってとことん難しいですよね。つい数年前までは家事で実家燃えて家族みんな焼死してくれないかなーとか思ってましたからね。父方の両親は好きなんですけど。人間としての道をゆかなくては。教えてくれた僕の人生の先輩に感謝です。

 

以上