ヨギー(ニート脱却)の日々(2017年4月30日以降)

「今(2017年4月30日以降)はもはやニートとは言えないほど働いてるけど心はニートの味方です」なヨギーの日記

渋谷駅付近を歩いてると鬱々としてくる

昨日、ちょっとした用事で渋谷まで行きました。そこで心が萎えました。なんでこんな人でごたごたしためんどくさい場所で、道もどっちがどっちだかわかんないめんどくさい場所で、訳のわからない建物で囲われためんどくさい場所で、どこもかしこも常にうるさいめんどくさい場所で、俺は用事なんか抱えてしまったのか。駅の中なんてどうやって歩いても人とぶつかるし。おいおじさんそんなとこで急に止まんないでよ、と思ったりするけどまあこんな雑多なとこじゃ立ち止まってみないと自分がどこにいるかわかんないだろうししょうがないか、と思うけどやっぱその度にそのおじさんの左右どっちを通り過ぎれば人とぶつからずに進めるか様子を見るけどどっちに行っても正面から人の波が押し寄せてきてるの見てうんざりしたりしました。

 

そんな鬱々としたメンタルでは他人のことがほんとにどうでもよくなってるので、人と会って話してると「あーこんな風に無感情で無表情で話してたら人に嫌われるだろうなーでもかといって明るく表情豊かに話すことも出来んしなーまあもう会うこともないかもだしいっかー」と堕ちきった開き直り方をしてます。

 

そういえば、こんな何の価値があるかわかならい雑記ブログ書いてるのはなぜなんだろうと考えてみると、人と直接面と向かって自分の考えてることを言う機会がなかったり、めんどくさいと思って伝えなかったりするので、こういう場で一方的にくっちゃべってしまおうという思惑が少なからずあったっけ、と思い出しました。そりゃ上記のような状況で、「なんか今かなり色々めんどくさくって、アナタと話してるのもつまんないのでこんな風に無表情ですが勘弁してくださいね。アナタのことが嫌いって訳じゃないんですがどうも無表情以外の表情ができないんですよすいませんね」とかっていったら多分相手も困るだろうし、なんとか穏便に済ませようとするとなるべくしゃべらないでいるしかないように思うのです。

 

思えば僕は人生の大半において、人と話すときは無表情を常としてやってきたので、僕にとってはそれが普通なんでしょう。興味のないことに対して「興味ねえ」って感情を隠さずに思いっきり無表情でいましたし。友達といても僕が興味のない話題で盛り上がってるときは無表情でいるのみならず、すっとその場を離れて一人で時間を過ごしたりしてたし。人といる時は明るく楽しくできた方がいいんでしょうけど、そこのところをしっかり身につけることなくここまで来てしまいました。そのことによるメリットデメリット様々ですが、とりあえず今後なるべく渋谷には近寄りません。

 

以上