ヨギー(ニート脱却)の日々(2017年4月30日以降)

「今(2017年4月30日以降)はもはやニートとは言えないほど働いてるけど心はニートの味方です」なヨギーの日記

「出来る・出来ない」について

一昨日、一週間と経たずに仕事を辞めてしまったんですが、なぜそういう結果に至ったか考えたいと思います。

 

まず、その会社の上司・同僚は職場としては理想と思える人たちでした。皆自分の仕事に熱心でありながら、僕には色々と丁寧に仕事を教えてくれて、昼休憩にご飯も誘ってくれてと、いい雰囲気の職場でした。

 

そんないい環境ではあったんですが、僕はさっぱり仕事に集中できず、なぜこんなことも出来ないのか、と思うくらいの簡単な作業さえも捗らないまま数日が過ぎました。採用前に受けたテストでは出来たこと(webサイトのコンテンツを書く)が、会社で働いてるとなぜかさっぱり出来ませんでした。

 

仕事を進めることが出来ないでどうしよう、と考えてると、ふとある人のことを思い出しました。その人とは二年前にインドで出会いました。アスペルガー症候群のために会社で思うように仕事ができず、社内いじめの果てに辞職して、何かを求めてインドに来た、という人でした(その会社で働いてた時はアスペルガーということは知らなかったそうです)。その人とは帰国後日本でも会って、その時には再就職してたんですが、そこでもやはり仕事がうまくこなせない、と言ってました。会話の中で彼は、かなり僕を不安にさせるような事をぽろっとこぼしてたりしたんですが、今では連絡がとれなくなってます。

 

他にもこういったことは何度も身近に観察したことがあります。例えば僕の兄妹も仕事ができなくなったり学校に行けなくなったり、睡眠は十分取ってるはずなのに朝起きることが出来なかったりと、当時の僕からしたらありえないような状態に陥ってたことがあります。「なんでそれくらいのことが出来ないのか」と思ってましたが、出来る・出来ないはそう簡単に決めれるもんじゃないと今は思います。

 

見た目には何も問題なさそうに見えるけど、「こんなの簡単だ、あたりまえだ」と思えることがなぜか出来ない。なにが原因かはわからないけど、とりあえず出来ない。そんなことが実際にあるようです。そして僕は、「この仕事なら出来る」と思って入った会社で、いざ働き始めると何もできず、結局何の仕事も終らせることが出来ないまま辞めることにしました。

 

僕の中で、「出来ないもんは出来ないんだ」という意識が強すぎたのかもしれません。働くのはもともと好きではなかったんですが、家賃、水道光熱費、食費、奨学金返済、携帯料金、等々、お金を稼がないといけない理由はたくさんあったので働くことにしました。が、働き始めてちょっとめんどくさいことがあると手が止まって、そこから自己催眠みたく、「俺にはこれが出来ないんじゃないか」という思いが生じて、それがほんとに仕事を出来なくしたんじゃないかという風に考えたりしてます。

 

 

どっちにしろ、僕はその仕事に向いてなかったという訳です。「どういう訳か出来ない」なのか、「やりたくない」だけのものを「出来ない」ということにしてたのかわかりませんが、明らかなのはそこで働いていくのは無理だということです。僕はそんな状態なのに、上司・同僚はやはり人間として尊敬できる人格者なもんで、なおさらそこにいるのがいやになりました。そこにいるのにふさわしくないと自分で思ったらもうアウトです。仕事なので、合わないと思ったら早く辞めるべきですね。にしても一週間いられなかったってのは早すぎかも知れませんが。働くのに適してないんですね。

 

逆に、これまで(少なくとも自分で定めた期間は)続けれた仕事としては、農業とか乗馬クラブでのバイトとかですかね。肉体労働のバイトだと、勤務初日で想像以上にキツくて一晩で夜逃げされるということが結構あると聞きましたが、僕の場合それはありませんでした。まあ期間を延長して働きたいかと言われたら即答で「否」なところが多いですが。ある人には出来なくて、僕には出来ることもあるみたいです。その中から条件のそこそこいいところを見つけて働けたらと思います。それか自分で何かを仕事にするかです。

 

 

 

以上