ヨギー(ニート脱却)の日々(2017年4月30日以降)

「今(2017年4月30日以降)はもはやニートとは言えないほど働いてるけど心はニートの味方です」なヨギーの日記

日本的な漫画

今日がここでのバイトの最後の休日でした。今日も晩飯は松屋で。北斗の拳を全巻読み終え、大満足の一日でした。そして風呂上がりにfriday night fantasy(大分前に金曜ロードショーのオープニングで流れてた曲)を聞きながらブログを書いてます。良い曲です。ちなみに、その次の金曜ロードショーオープニング曲cinema nostalgiaもおすすめです。

 

今日北斗の拳を全巻読了した訳ですが、前半では完全な悪役だと思っていたラオウが、後半では圧倒的な力で乱世を統治しようとしていた、なんかいいやつとして描かれるようになってて、「日本の感覚のなせるわざなのかな」と考えてました。他にも、魔界の力を手に入れたというカイオウも、もう魔人的なのになってるしこいつは完全に悪だろって思ってたらケンシロウにやられた後、改心したと言うか、良いやつに見えるように描かれています。

 

ハリウッドの映画とかを見てると、悪役とヒーロー役とがきっぱり分かれてて、まあ言えば単純な構造のものが多い気がします。最後はヒーローが買ってハッピーエンド、みたいな。

 

ヒーローが悪役を倒してそれでストーリーが終わるってだけではないのが日本的なのかなと、色々な人の考えを聞いてて思いました。キリスト教の考え方と仏教的な考え方の違いが現れているのか。北斗の拳では、核戦争の後に暴力が支配する世紀末の世界で、一見悪役に思えるラオウも、強大な力で勢力を拡大して、はびこる暴徒を抑えていたという面がありました。単純に悪って訳ではないんですね。

 

そういえばワンピースでも、本来なら悪党のはずの海賊が主人公で、ヒーローのはずの海軍が純粋に善ってふうには描かれてないんじゃないかと思います。白ひげも自分の領地だといって魚人族をかばってたりしましたし。そんな海賊と海軍が敵同士って、どっちが善でどっちが悪かわかんない状態です。

 

善の中に悪があって、その逆もある。完全な善も悪もないってのがほんとのとこだと思います。誰が勝負して勝ったかでそう呼ばれるってだけで。今の世界だって、第二次大戦後に一番力のあったアメリカが中心になって形成されたものの延長にあるんだと思います。これからどうなるかはわかりませんが。

 

ここまで考えるきっかけを与えてくれる漫画もあるってことで、あなどれません。親に「漫画ばっか読んで」なんて言われきた人もいるかと思いますが、堂々といきましょう。

 

以上