ヨギー(ニート脱却)の日々(2017年4月30日以降)

「今(2017年4月30日以降)はもはやニートとは言えないほど働いてるけど心はニートの味方です」なヨギーの日記

Facebookの「誕生日おめでとう」はなんか疲れる

Facebook上の友人が誕生日を迎えると、そのお知らせがくる、という機能があります。「今日は◯◯の誕生日です!誕生日のメッセージを送りましょう!」と。

 

僕は去年からその機能を完全無視して、SNSで友人の誕生日を祝うのを止めました。例外なく。たまたまその日が誕生日っていう人に直接会う機会があれば挨拶程度に触れはしますが、それ以外の場合は何もしないようにしました。

 

去年僕が誕生日にFacebookで70件くらいの「誕生日おめでとう」的なメッセージをもらいました。で、それら全部に返事のコメントを書きました。正直途中から「めんどくせえ」と思い始めましたが、どうであれ祝ってもらったなら返事はせんとなーとも思ったので返事を書きました。僕はありきたりな機械的なコメントとか返答とかをなるべく避けたいという変なこだわりがあり、そのせいでやたら時間をかけて返事をしてました。で、疲れました。

 

別に適当に「ありがとー」とかって返事してさっさと済ませばいいじゃん、とか、そのコメントに「いいね!」して終わりで良いじゃん、という意見があるかと思います。僕の理性もそういうことを何度も訴えてました。が、なにぶん自分の変人なところがこだわってしまいまして。

 

機械的にリアクションするなら、そもそも何もしなければいい、と思います。でもそれは友人に対する態度としてどうかと思います。でもそんな風に思って可能な限り工夫して返事しても何と言うか、SNSなんで、お互いの意識の違いもあるんでしょう、それになんの反応もないとかってのがありました。それを恨めしく思ったりする訳ではありませんが、「祝ってもらっとるんかな俺は?」と感じました。

 

僕は自分の誕生日を特別な日だと考える傾向がすごい薄く、まして他人のなんてなおさらです(本心)。自分が祝ってもらってうれしくない訳ではないけど、その言葉やメッセージにどんなものが込められているか(もしくはどれくらい空っぽなのか)とか、めんどくさく考えてしまう自分みたいな人間には厄介なものになる場合が多いです。

 

僕みたいなセンスの人間が他にどれくらいいるかはわかりませんが、僕が「誕生日おめでとう」と言ったとしたらそれは多分空っぽです。「また心にもないこといってるよこいつ」と内なる声がささやくと思います。自分で勝手に複雑な感情に陥るので、少なくともSNSで誕生日メッセージを送るのを止めました。

 

そういうわけで、誕生日を特になんとも思ってない僕としては誕生日を祝うのは自分がめんどくさい状態に陥るのでとりあえず自分からSNSを通して誕生日祝いには関わりません。誰にも誕生日メッセージを送らないようになってますが、その人が嫌いになったわけではありません。

 

以上