病んだヨギーの日々(2021年4月27日現在)

就職してしまったヨギーの雑記

貧しくありたかった自分

最近自分の進路を考えるという目的もあって自分の人生を振り返ったりしてます。そして田舎で生きていくのが自分の天分なのかなと思ったりしてます。そんな感じで人生を振り返ってると、自分は質素であることに憧れ続けてるのかなと思うに至りました。そんな話をしたいと思います。

 

自分は小学生の頃、絶対に友人を自宅に招いたりしませんでした。理由は、その友達はアパートや貸家だったのに、自分の家は二世帯住宅の三階建ての一軒家で結構立派な家だったからです。「お前んちでかいよなー」とかって言われると感じる申し訳なさというかすいませんという感情というか。自分は何をしたわけでもない。でも家が友人達より立派。それだけでなんか自分が友人達と違う。自分でそう思うのが嫌だったし、そう思われることがいやでした。あと自分の家にテレビゲームがなかったのと、家族とあまり仲が良くなかったってのもありますが。でも自分の家もアパートの一室だったら少なくとも一回くらいは友達を家に招いてたと思います。

 

服も、ずっと兄や父からのお下がりを着ていました。今も持っている服の半分以上はお下がりです。だもんで自分で服を買うという習慣がなく、ことあるごとに服を買う友人がいたりすると「なんでそんなに服買うの?」と、インド以上のカルチャーショックを受けます。さすがに10年以上経ってぼろぼろになってるんで、そのうち自分の服を買っていくことになると思いますが。

 

貧しくありたかったのは、そうすることで周りの友人たちの中で浮いた存在になりたくなかったから。でも今はちょっと違って、質素でいたいと思ってます。いらないもの、必要以上のものは買わない。必要なものはたまには質にこだわって出費する。経済を重視すると、売れれば何でも良いからつくっちまえ、という考え方になることがあると思いますが、今の世の中は限られたエネルギーを使ってどうせ捨てられるごみを生み出すしょうもないことがなんとも大々的に行われてるように見えます。そんな動きの中にいたくないので、大学卒業してからどうしようかと考えたとき、農業とかが浮かぶ訳です。無駄のすくない生き方。

 

これからの世の中で、そういう生き方が増えてほしいし、そうなる気もします。会社内でも競争が激しいところは激しく、でも人間色んな価値観があってそんな大変な思いして金を稼ぐより、のんびり必要最小限のもので生きたい、っていう人もいると思います。競争から脱落して自分の価値を否定されたように思って、金は少なくていいから生き方を変えたいという人もいると思います。そういう人が生きていける社会がいろんなとこにできたらいいなと思う次第です。僕はもう他との競争とかむりです。自分のしてることが何の役に立ってるのか、むしろ資源の無駄遣いじゃね?て思ったらもうそこで働くことも出来ません。でも日本に暮らしてるんで、税金とか年金とか色々払わんといかんからお金をどうやって稼ごうか、というところでやっぱ会社員安定やなーと考えがまとまりません。

 

以上