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ヨギーニートの日々

自称変人が綴る日記的なブログ

僕と同じ創価大学の学生が今の公明党のあり方を批判したことについて

今朝、歯を磨きながらスマホFacebookを見ていたとき。三宅洋平さんの選挙フェスで、僕と同じ創価大学の学生が今の公明党は支持できない、と宣言する動画を見ました。衝撃でした。それについて僕が考えることを書こうと思います。

 

まず、公明党創価学会とは別の組織であり、現実的に政治問題と向き合う政治団体です。それに対して、自分の素直な意見を言えないような空気が学会内や創価大学内にあるとしたらそれはただの言論封殺だと思います。「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というボルテールの言葉が池田大作著「新人間革命」で引用されています。僕の考えは、この公明党批判をした学生とは異なります。しかし、この学生の意見を否定するなんてことはしません。僕は政治活動は学会活動とは異なるもので、あくまでも本人の意思に基づいて行われるものだと考えます。学会員ならどの政党を支持するかということを強制される、なんてありえません。

 

僕の実感として、やっぱり公明党創価学会の結びつきは強いものだと感じます。公明党創価学会から誕生した政党です。創価大学のような、学会員が周りに多くいる環境の中では、選挙になったら公明党を支持する、というのが当然のような感覚になります。その中で公明党を批判する学会員が現れた、ということに僕は衝撃を受けました。今まで素通りしていたのが当たり前のことを改めて見直す機会になればと思います(僕は公明党を批判しろ、と言っているわけではありません。なにしろ僕が公明党に投票しましたんで)。周りと同調していれば安心、というのではなく、どの政党を支持するかは自分で考えるという作業を行った上で決めませんか、ということです。そこで無理に批判をこしらえることはしなくても良いですが。

 

疑う、ということは否定する、ということとは異なります。疑うということは自分で「これはおかしいんじゃない?」と思うことであり、その疑問の答えを自分で見つけることで確信を得るための最初のステップになるのではないかと。もし、いろんな疑問や意見があることを許さない風潮があるなら、池田大作が重きをおいた「対話」というものがしっかりなされていないということなのでは、と思います。誰一人として同じ人間はいません。一人一人違いがあり、その違いを超えて互いに理解しあうために対話が行われます。そういう風に僕は考えます。政治への考え方も色々あるでしょう。その違いを対立の原因にするのではなく、理解しあいなんとかより良い答えを導く努力をしないといけないのでは。「公明党を批判すると地獄に落ちるぞ」と言った学会幹部が本当にいるのか僕は証拠を持っているわけではありませんが、一方的に公明党支持を命じるような事があったとしたら「組織のための人間」になってしまっているんじゃないかと思います。

 

以上