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ヨギーニートの日々

自称変人が綴る日記的なブログ

変人に憧れてきた自分

今日は昼飯後にブログ更新してます。普通は晩飯後なんですが、そうするとどうも予定より時間をかけてしまうんですね。夜は頭を使う作業には向いてないそうです。外山さん著「思考の整理学」でそう述べられていて、さらにヨガの呼吸法等を勉強していても夜の時間帯はリラックスする為に、頭をつかう作業はなるべく避けるように、となってました。これからは可能な限り夜までの時間帯にこういった作業は済ませたいと思ってます。

 

で、タイトルにある通り、自分は変人に憧れてきました。多分中学の二年くらいからですかね。例えば月九ドラマ「ガリレオ」のファンだったわけですが、その主人公の湯川さんとかにははまってました(実在の人物で変人と呼ばれる人については当時あまり知識がありませんでした)。なぜか。他の人に合わせて自分の振る舞いや言動や目標をめんどくさく考えない人がかっこいいなと思ったからです。

 

自分の中高時代には人間関係は殆どありませんでした。もちょっと詳しく言えば「ろくな人間関係はなかった」ですね。色々あって中学時代の途中から人の輪から遠ざかるようになり、おかげ様で多分その他大勢の人とは大分異なる視点からものを見れるようになりました。なったと自分では思ってます。

 

人の輪から離れたところから周りの人を見てると、なんか皆、自分の存在が他から浮かないように頑張っているように見えた訳です。こういわれたらこう返す、話す内容はだいたいいつも同じ、何かに対する意見は似通ったものばかり。そして、次のような表現が自分のなかですごく引っかかりました。「そんなん常識っしょ」。

 

常識?何ぞやそれは?と別に誰もその答えを持ってるわけでもなさそうなのに、平気でそんな事をいう。とりあえず、彼らは周りと明らかにちがうなこいつは、と思われないようにあろうとしているんだなということなんとなくはわかりました。で、そんな感じで生きている人たちは互いに足を引っ張り合って、ぬるくて居心地のいい空間をつくってたように思います。

 

そんなのをふすまの影からこっそり見てた自分は、こういうのには関わらないほうがいいな、と思いました。自分がすること言うことやりたいことが、その集団の中で評価され、もやっとした「常識」に照らしてアウトだったらそれまで。それ以上自分が進もうとすると自分は彼らにとってもやっとした存在になって掃除されるから。

 

そういうふうに考えていたんですねー自分。だから、周りの人の視線も意見もどこ吹く風でやりたいことやってる、多くの人から「変人」と烙印される人たちに憧れた訳です。周りと同じことしてたら気楽ですが、せっかく人間に生まれてきたんで、自分で考えるという能力をもらったんで、考え方に縛りを持たずに生きていたいなと思ってます。ただ、意地になって他と違うことをしてる気がすることがあるんで気をつけたいです。

 

異常

いや、以上