病んだヨギーの日々(2021年4月27日現在)

就職してしまったヨギーの雑記

普段口で呼吸してる人を見て思う事

最近はこの事に触れてませんが、今も基本的に準ベジタリアンです。準べジタリアンは完全な造語で、正確にいうとセミ・ベジタリアン(フレキシタリアン)というらしいです。外食等で友人と一緒に食べる時以外で肉は食べない食生活は継続中です。特に意識して続けているわけでもなくなってます。魚、魚介類、卵はそこそことってます。牛乳はなんとなく避けてます。豆乳に慣れると牛乳がちょっと濃すぎて気持ち悪く感じるので。こういう食生活のおかげなのかどうなのか、とにかく体調は良好なままです。

 

それでは本題。どれほどの数いるのかわかりませんが、普段から口で呼吸する人っているじゃないですか。僕の身近にも何人かいます。口呼吸ってなにかと衛生面でよろしくないと思うので、止めた方がいいんだけどなーと思いながらも、自分自身鼻が詰まる事はよくあり、その苦しみはわかるので、まあしょうがないかーと見なかった事にしてます。僕の場合は鼻が詰まってても気合いで鼻呼吸してますが。そういえば運動するといつの間にか鼻のつまりがなおってたってことがよくあります。他に、ヨガで培った技術と知恵で鼻づまりを治したりもします。まあ、電車の中や仕事中にランニングやカパルバティはできないでしょうし、緩いバイトで生活してるニートの身で良かったと思うところです。

 

口呼吸は、細菌への防御力が弱い口に空気と一緒に色々余計なものを吸い込んでしまうから衛生的によろしくないと思ってる次第なんですが、呼吸の仕方くらい自分で決めるわ!余計なお世話じゃ!とか思われるのもあれだしで、そこは個人主義に道を譲ってる訳です。というか、口呼吸が鼻呼吸に比べて衛生的によろしくないと説明する十分な根拠が自分の中にないので、鼻づまりの人にわざわざ労をかけさせてまでさせるのに気が引けるのです。

 

でも、自分のここ数年の病歴を振り返ると、病院のお世話になったのは四年前のインドでの「急に40度超えの高熱が出てマジで死ぬと思ったらただの風邪だった事件」が最後だし、インフルにかかったのは高校2年の時が最後だし、風邪も国内では4~5年は縁がないです。確か。2年前にヨガを習う中で本格的に鼻呼吸を心がけはじめたので、それ以降は感染性の病気から免れているというわけです。テレビがない生活を5年もしているので、冬にインフルが流行ってるのかどうかさえわかりませんが、マスクして外出することは全くありません。単に運がいいだけなのか、人ごみが嫌いだからドンキでの買い物くらいしか危険地帯がないおかげなのか、他の人がみんなマスクつけてくれてるおかげなのか、定かではありませんが、多分、鼻呼吸の方が口呼吸よりいいですよ、という話でした。余談ですが、僕が最初に鼻で呼吸するように気をつけはじめたのは、小学生のときに友人から「口開けっ放しにしてたら唇がでかくなるぞ」という嘘かまことか知れない一言からでした。

 

以上

去年の半分ほどを使って証明したこと:歯磨き粉とシャンプー・コンディショナーはいらない

今年の年明けは八王子は高尾山にて迎えました。なにも、高尾山にある歴史あるお寺、薬王院に新年のお参りにいったわけでも、見晴らしのいい場所から初日の出を見に行ったのでもなく、とあるバイトで出勤してただけです。そこで見たのはいつもと変わらぬ職場の風景と明らかにいつも以上ににぎわっている高尾山中腹の風景のみでした。幸い、今年の初夢では人を殺すようなことはありませんでした。どういう理屈でそうなってるか不思議でなりませんが、僕は今年が厄年ということになってます。そのせいか、人殺しの夢こそ見なかったものの、暴走する地下鉄の車両を停止ボタンを押して停止させるという夢を見ました。初夢に暴走車両が登場するとはなかなか現代的ですが、意味のところは全く謎です。ともあれ、今年は新しいことに色々手を出してその中の何かでいい結果を出したいと思います。

 

そんな新年の迎え方をしたものであまり新しい年にありがたみは持ってないんですが、一年という区切りを有効に使うため、去年のことを振り返って世に知らしめたいことが何かないか振り返ってみたりしました。そして去年、自らの身を以て確かめた二つの事実に気づきました。一、歯磨き粉はいらない。二、シャンプー・コンディショナーはいらない。

 

一については、半年ほどの期間、歯磨き粉を一切使わずに過ごしながらも歯医者の定期検診に於いては担当医に「今までで一番いい状態ですね」と言わしめた事実を以て証明とします。ただし、これには正しい歯の磨き方についての発見もあり、その方法を取り入れないと恐らく虫歯一直線なのではないかと思います。

自分なりに試してみた歯の磨き方;一日二回すなわち朝起きてすぐと夜寝る前とにみがきます。使うのは、小さめの歯ブラシ、デンタルフロス、ワンタフトブラシ、爪楊枝。朝は普通の歯ブラシでささっとすべての歯の表、裏、噛み合わせ部分を磨き、そのあとワンタフトブラシで奥歯の、普通の歯ブラシでは磨けない箇所をきれいにします。夜は最初に朝同様普通の歯ブラシとワンタフトブラシで磨き、そのあとデンタルフロスですべての歯間の汚れを取ります。四〜五日に一回ほど、夜の歯磨きの後に爪楊枝で歯茎ぎりぎりのところの掃除をします。ブラシではとれないまま溜まっていくカスがあるので、歯茎を傷つけないように慎重にこすり取ります。全行程で10~20分ほどかかります。

この方法で半年ほど歯を磨くようにしてましたが、去年の12月の定期検診の際、4年ほどお世話になってる担当の歯医者さんから今までで一番いい状態だとの評価をいただき、新しい歯の磨き方が少なくとも前よりは良かったということが証明されました。

 

次に、二についてですが、これは去年どころか確か一昨年の後半からずっと自分で試してたことです。まずは全くシャンプーを使わずに生活するようになり、二ヶ月ほどしてからコンディショナーも使わなくなり。その後はどちらも買う事なく、全く使う事なくシャワーのみで頭を洗うように。それが普通になって気づいてみればはや一年強。髪の毛はとりあえず健康そうです。ルームシェアしている友人に聞いてみても、特に僕の頭から変な臭いがすることはないとのことでした。頭が無性に痒くなったり、血が出たり、はげたり、といった現象は確認されてません。二日ほど風呂に入らないでいると痒くなりますが、これはシャンプーとコンディショナーを使ってた頃にも経験してることなので、人間の頭はつまりそういう風に出来てるんだと思います。

 

この二つの発見の恩恵やいかに。金銭的なコストの削減については大したものではないでしょう。むしろ歯磨きについては、使うブラシの種類が増えて出費は増えるかもしれません。それでも、必要ないなら買わないでおくという方が気持ちいいんじゃないでしょうか。シャンプーとコンディショナーがないと、風呂場が思った以上に片付いて見えるというのが私の経験です。歯磨きについてはここで書いたような方法の方がいいかとは思いますが、シャンプーコンディショナーについては、使わなくてもまあ問題なかったよ、という程度のものです。それも、24歳の、身だしなみやおしゃれに無関心な男の言ってることだというのを考えた上で聞いていただきたいと思います。

 

と言う訳で、去年我が身を以て得た知識の振り返りでした。この記事のおかげで、100均でどのシャンプーを買うかいつも迷ってしまう悩める人たちがその迷いから解放されたなら幸いです。

最近見た夢および最近読んだ本

最近みた夢1:父親が運転する車の助手席に座ってると、急に父親が「頭痛い」と呻きだし、病院に向かう。病院からちょっと離れたところに車を停めて病院へ歩いていこうとすると、リアルでは非喫煙者のはずの父親が一服していた。

 

最近みた夢2:ヤクザとつながりのあるおっさんが困ってるのを助けたら、そのおっさんから拳銃を向けられて悪いが俺の立場を立てるために死んでくれ、と頼まれた。それは絶対に嫌だと思いつつも、このおっさんも生きるか死ぬかの瀬戸際なんだと思うとどうしようかと迷う。が、ほんとにもう撃たれるという間際になってやっぱり生きていたいと強く思ってなんとか話し合おうとするが、相手はもう撃つつもりで止めそうもない。撃たれる前に目が覚めました。「ああ、これで人生終わりか」というむなしい気持ちと「いや待って死にたくないんだけど」という生命力のある気持ちの両方を味わった夢でした。

 

こんな変な夢を続けて見た日にはもう起きててもふらふらしてるような感じがします。逆に、寒さが日に日にましていくなかで体がふらふらになってこんな夢を見る始末になってるのかもしれません。

 

まいどまいど前座が何の利益も生み出さないだけでなくメインの内容にもかすってなくて反省しております。でもまあ気を取り直して。前回の続きで、『漂流女子』という本を読んだのでその感想を、と思ってたんですが、どうも書きづらいので諦めてしまいました。せめて簡単にどんな本だったかだけ書いておきます。望まない/思わぬ妊娠をしてしまった女性をサポートする一般社団法人での著者の体験談です。「にんしんSOS東京」という団体です。社会の中で孤立した状態で妊娠するということがどういうことか、男で謎に大学六年目を迎えて結婚の「け」の字も見えないこれからの人生を歩もうとしている僕みたいな人間にも多少はわかる気がしました。「にんしんSOS東京」で検索するとちゃんと出てきます。

 

 

「こういう問題を抱えている人、こういうのあるよ」といった感じのメッセージです。それだけです。それ以上僕がいう事がないから感想書くのが難しかったんでしょうか。困ってる人を助けるのって結構楽しいもんなんで、誰かに助けてもらう必要があるときはどんどん助けてもらいましょう。僕も今助けてもらいたいことだらけです。妊娠関係では断じてありませんが。幸い、近所に経験豊富な方達が住んでるので助かってます。そういう風に優しくしてもらってるので、駅のロッカーの使い方がわからない外国人の方をヘルプしたり、駐輪場で自転車が絡まって自分の自転車が取り出せないでいるおばちゃんを助けたり、ささやかながらそういうことをしてます。ともすると急激に荒んでしまう僕の心なので、助け助けられといった感じでのほほんとやっていきたいです。

 

以上

最近見た夢および最近読んだ本

最近みた夢1:父親が運転する車の助手席に座ってると、急に父親が「頭痛い」と呻きだし、病院に向かう。病院からちょっと離れたところに車を停めて病院へ歩いていこうとすると、リアルでは非喫煙者のはずの父親が一服していた。

 

最近みた夢2:ヤクザとつながりのあるおっさんが困ってるのを助けたら、そのおっさんから拳銃を向けられて悪いが俺の立場を立てるために死んでくれ、と頼まれた。それは絶対に嫌だと思いつつも、このおっさんも生きるか死ぬかの瀬戸際なんだと思うとどうしようかと迷う。が、ほんとにもう撃たれるという間際になってやっぱり生きていたいと強く思ってなんとか話し合おうとするが、相手はもう撃つつもりで止めそうもない。撃たれる前に目が覚めました。「ああ、これで人生終わりか」というむなしい気持ちと「いや待って死にたくないんだけど」という生命力のある気持ちの両方を味わった夢でした。

 

こんな変な夢を続けて見た日にはもう起きててもふらふらしてるような感じがします。逆に、寒さが日に日にましていくなかで体がふらふらになってこんな夢を見る始末になってるのかもしれません。

 

まいどまいど前座が何の利益も生み出さないだけでなくメインの内容にもかすってなくて反省しております。でもまあ気を取り直して。前回の続きで、『漂流女子』という本を読んだのでその感想を、と思ってたんですが、どうも書きづらいので諦めてしまいました。せめて簡単にどんな本だったかだけ書いておきます。望まない/思わぬ妊娠をしてしまった女性をサポートする一般社団法人での著者の体験談です。「にんしんSOS東京」という団体です。社会の中で孤立した状態で妊娠するということがどういうことか、男で謎に大学六年目を迎えて結婚の「け」の字も見えないこれからの人生を歩もうとしている僕みたいな人間にも多少はわかる気がしました。「にんしんSOS東京」で検索するとちゃんと出てきます。

 

 

「こういう問題を抱えている人、こういうのあるよ」といった感じのメッセージです。それだけです。それ以上僕がいう事がないから感想書くのが難しかったんでしょうか。困ってる人を助けるのって結構楽しいもんなんで、誰かに助けてもらう必要があるときはどんどん助けてもらいましょう。僕も今助けてもらいたいことだらけです。妊娠関係では断じてありませんが。幸い、近所に経験豊富な方達が住んでるので助かってます。そういう風に優しくしてもらってるので、駅のロッカーの使い方がわからない外国人の方をヘルプしたり、駐輪場で自転車が絡まって自分の自転車が取り出せないでいるおばちゃんを助けたり、ささやかながらそういうことをしてます。ともすると急激に荒んでしまう僕の心なので、助け助けられといった感じでのほほんとやっていきたいです。

 

以上

最近読んだ本:『男が痴漢になる理由』『漂流女子』

今日はなんと近所の仲のいいある会社の社長に同行してインド人のManaging Directorとの商談の通訳をしてました。商談っていってもかなりカジュアルな雰囲気でしたが。話も込み入ったものじゃなくて、会社の設備や実績を紹介してその後日本食を食べにいくという感じで。つくづく出来ることがあるっていいなと思った1日でした。おかげでこんな機会がなければ存在も知らずに一生を終えたであろう飲食店とパン屋でごちそうになりました。インド人の方もいい人で、今度インドに行くときは車も家もあるから訪ねてこいと言ってくれたので必ずやお世話になってやろうと思ってます。やっぱり僕の人生はインドに向かっていくんでしょうか。しゅくりや。

 

はい本題。最近読んだ本で、紹介しておきたい気がしたので書いときます。斉藤章佳著『男が痴漢になる理由』と中島かおり著『漂流女子』の2冊です。他にも中村元著『原典訳 原始仏典』(上下)とかあるんですが、これは人に勧めるかというとそうじゃなくて自分で求めて読む感じかなと思うので特に紹介はしません。

 

『男が痴漢になる理由』:もうタイトルまんまです。著者はアルコールやギャンブルや薬物等々の依存症の人が健やかな人生を取り戻すための治療を施している精神保健福祉士社会福祉士の方です。性犯罪の加害者の治療も行っているのは、それも依存性のあるものだからだそうです。性犯罪は性欲を満たすために行われていると思うかも知れませんが、どうもそういう訳ではないようです。簡単に言うとストレスが発散されないまま溜まりすぎて、痴漢行為でそれを忘れる、そしてそれが常習化して繰り返す、ということです。最初から意図的に痴漢をする人は殆どいないそうです。満員電車なんかで意図せず女性の体に触れたりして、でも相手が何もなかったかのようにやり過ごして、そこから意図的に触るようになるというのが大きな痴漢の入り口だった、というのが痴漢加害者の典型例だそうです。最初に痴漢行為をしたとき、会社の人間関係の悩みや自分が否定されたという思いやらが吹き飛び、それから痴漢が辞められなくなるということも多くあるみたいです。だから、仕事熱心な会社員とか、まじめと思われるような人の方が痴漢にのめり込むことが多いようです。そのうち、「相手もいやがってる訳じゃなく、実は喜んでる」みたいな論理を形成してきて、始末に終えない状態になってしまう、ということも観察されるんだとか。

 

痴漢の発生が一番多いのは、想像に難くないでしょうが、満員電車内です。僕は満員電車には絶対に乗らないでいいような人生を歩もうとはしてるんですが、なかなかそうはいかない時があったりして、そんな時は「なんでこんなのに乗ってしまったんだろうか」と悲壮に浸りながら耐えてます。これは自分のみならず、周りの乗客に対しても感じる事です。なんで皆こんな馬鹿っぽいことやってんだろうか。こんなんを週五で繰り返してんのか。自分だったら仕事やめるなと、思うだけじゃなく実際それで仕事やめたこともあります。ここのところ、嫌な事をさっさと辞めてしまう自分のことが好きであります。痴漢に生まれてくる人間なんていない訳で、だったらそうなってしまうような環境を離れてしまえばいいだけ、と考えてしまうんですが、それが出来ない事情のある人もいるんだろうな、じゃあしょうがない?というところに行き着きます。

 

まだまだ書きたいことがあるんですが、止ん事無き事情のため(近場に充電器がない状況で充電が切れかけている)、続きは後日改めてにいたします。ブログのマナー的にいかがなものかと思いますが、平に平に。

 

以上

ミミズに勇気をもらった今日の昼

こんばんは。やっぱりRADWIMPSから離れる事ができないなと感じながら今日の終わりを迎えつつブログを更新しています。なんでこんなにこのバンドにひかれるんでしょうか。音楽にそんなに興味ないのに。ここに自分を理解する鍵がひとつある気がします。自分がなんとなく好きなことについて考えてみるって大事ですね。

 

それはそうと、今日の昼。とある池の近くを歩きながらふと地面を見てみると、石畳の上でミミズが一匹、うねうねもがきながら細長い体の真ん中あたりから謎の液体を垂れ流してました。誰かに踏みつぶされたんかなと思いましたが、それにしてはかなり元気だったので多分ちがうんでしょう。その液体が何だったのかわかりませんが、なぜかはるばる地上に顔を出し謎の液体をひねり出し、そしてのそのそと土に帰るべくあたりを物色していました。否、のそのそと言うのは人間から見たときの感覚であって、当のミミズからしたら閉まりかける電車のドアに向かって駆けるおっさんのような必死さなだったのかも知れません。相手を理解せずして決めつけるのは傲慢でしょう。慎みます。

 

しかしながら、結局あの一連の行為は何だったのか、わからずじまいです。わからずじまいですが、そのすべてがミミズからしたら生きるためにやってることなんでしょう。多分。思い返せば、土中に帰るべく前進するあのミミズの姿には、何か生命力を感じさせるものがありました。「お前が何をしているのか全くわからんが、全力で生きてるんだろう」と、一人納得してました。そして、自身の日々を振り返ると、このミミズほどの生命力さえ発揮しているだろうかと怪しんでしまう時間が多い気がして大いに反省するのでした。このミミズのように着実に前進できるように、あの姿を心に焼き付けておこうと思います。いや、やっぱちょっとそれは止めときます。でもそんなこんなで感じた事は大事にしたいと思います。

 

以上

雨の中で一人ぽつんと座ってる子供を見かけたので話しかけてみた話

最近異常に雨ばかりでなにかとめんどくさいことがおおいです。バイトも中止ばかりだしぐしょぐしょの靴を履いて出かけないといけないし洗濯は干せないし。ついにしびれをきらして今日は長靴を買ってきました。それをはいてホームセンターに買い物に。長靴最高でした。全然脚がぬれることなく、脚が冷える事なく、快適に目的地まで行けました。2300円の長靴でしたが、これからも使い続けるでしょう。コスパ良好です。

 

そしてその買い物の帰り道。そんなに強くはなかったけども、雨はまだ降ってました。その雨の中、団地の入り口あたりに、6~7歳くらいの子供が一人で傘もささずに石垣に腰掛けてました。周りには誰もいません。「ん?」と思いながら、さりげなく様子を伺いながら歩き続けました。これはまさかよく聞くネグレクトされた的な子供なのでは?もしくは家出?と不穏な気分になりました。ちょっと声をかけてみようかと思いましたが、どうもその勇気がでずそのまま通り過ぎました。僕とは反対の方向からも一人の中年のおっさんが歩いてきてたんですが、そのおっさんもこの様子を見て「ん?」というような顔をしてましたが、やはり歩き去っていきました。ことなかれ主義の精神がにじみ出た瞬間だと思います。

 

僕はそのまま20mほど歩いたと思うんですが、その間「さっきの子供に事情だけは聞いてみるか?さすがに雨の日に子供が一人でいるのはおかしい。最悪警察に連絡して保護してもらうか?こういうときって警察呼んで大丈夫なのか?そこまで大事じゃなくても、一度声かけておいて事情聞いてじゃあ大丈夫だねってそのまま去っていくのはいかがなものか?今持ってる傘かしていくべき?そうすると家まであとまだ30分くらい歩くけど俺は大丈夫か?風邪引かない?今半袖だよ俺?」と色々考えたあげく、引き返してさっきの子供のところへ歩いていき、なるべく不審者に見られないように慎重に声をかけて、事情を聞きました。

 

どうだったかというと、その子供は母親を待ってるということでした。そういう風に答えてました。「こんなとこで待ってたら風邪引くよ」と言ってみると、「あと一分でくるから大丈夫」と返してきました。団地の建物からはやや離れたところだったので、付近に屋根の影になるような場所はありませんでした。「そういうことならまあ大丈夫か?」という思いと、「こんなとこで待ってるように母親に言われたのかな?傘も与えずに?」という思いとがあって、どうしたものかと考えましたが、「風邪引かないように気付てね」と言って僕は去りました。

 

僕自身が世話やかれるのが好きじゃないので、その子自身がそこで母親を待つならそれでいい、というような気もするし、母親がどういう理由でそこで子供に待つように言ったのかも気になるし、自分が「まあ大丈夫か」ということでその事をおしまいにしたことが正しかったのだろうか、という気もするし、なんとも言えない出来事でした。

 

この出来事の背景が結局わからないです。他人がうるさくいうようなことじゃない気もするし、そもそも気にするようなことなのかもわからないです。が、僕は話に聞くだけですが、世にはひどい虐待を受けてる子供もいるそうなので、この場合がそういうのなんじゃないかと思って気になったわけです。僕がしたのは、これはどういう状況なのか確認するために子供に声をかけたというだけですが、それでも僕みたいな人には勇気がいりました。

 

「これが言いたい!」みたいなものはないんですが、なんとなく「ん?」と感じた事にたいして、ちょっと冒険心みたいなものをもって関わっていくと楽しい人が増えるんじゃないかと思います。無関心は愛情の逆だっていいますし。

 

以上