病んだヨギーの日々(2021年4月27日現在)

就職してしまったヨギーの雑記

自転車という車両の正しい乗り方を実践してみた

 

皆さん知ってましたか?自転車は車両だそうです。ということはつまり、本来は歩道ではなく、車道を走らないといけないんだそうです。自転車乗るのに免許なんてないし、小学生でも普通に乗ってるし、そんなにスピード出ないしってことでどちらかといえば歩行者に近いものとして捉えてるんじゃないでしょうか。僕がまさにそうで、日常的に自転車で歩道を、歩行者の間を縫うようにして走ってました。が、先日僕の住んでるアパートの郵便受けに届いた「広報八王子」で自転車の安全で正しい乗り方を紹介してたので、実践しています。ただたまにやっぱめんどくさくなって、自分で「これは100%安全」と判断したら信号無視とかしてます。でも可能な限りルールに沿った乗り方を心がけてます。今日はその様子をお伝えしようと思います。

 

さて、まずは自転車に乗るときの基本ルール。

1.自転車は車道が原則、歩道を走るのは例外。

2.車道では車や原付同様、左側通行。

3.歩道では歩行者優先で、車道寄りを徐行。

4.安全ルールを守る(飲酒運転禁止、夜間ライトを点灯、並列・二人乗りは禁止、信号遵守・交差点での一時停止、とか)。

5. 子供はヘルメット着用。

 

というようなルールを可能な限り守りながら、自転車に乗るよう心がけている最近です。確かに車道を走った方が、歩行者の横を通り過ぎたり、歩行者の集団に進路を阻まれた時のストレスがないので快適に走れます。向かいから走ってくる自転車とすれ違うことも少なくなるので、危なっかしいすれ違いも減ります(車道走ってると、逆走してる自転車は少ないなと感じます)。

 

でも、車の通りが多い車道を走ってると、結局車道の端に停車している車が邪魔だったり(停車してる車をよけて車道の真ん中に出る時に、後ろから来てる車のプレッシャーを感じる)、でかい車両(バスとかトラックとか)が通り過ぎる時にオリファントに踏みつぶされるローハンの騎士みたいな(映画「ロード・オブ・ザ・リング」第三作目より。古い上にコアなたとえですいません)恐怖を感じたり、あんまり気持ちよくない場面もあったりします。車の方が自転車を歩道に追いやろうとしてるかのような運転の仕方してたりもします。その他、今までの乗り方ならかなり近道できたルートが使えなくなったりします。道路のにあ反対側にある店に行きたいときに、一旦その奥の信号まで行ってから反対側に回って行かなければなりません。まあこれは時間に余裕をもってれば気にならないことですが。強く感じたことは、車道は自転車も走ることを考えて作られてないんじゃないか?ということでした。幅が狭い車道が多すぎます。

 

自転車に乗る人だけでなく、車や原付や二輪に乗る人の中にもこういったルールを知らない人は多いと思います。僕が車の免許を取る際に、運転中は車道の自転車に気をつけるようには言われましたが、自転車が基本的に車道を走るものだということについては教わった記憶がありません(僕が忘れてるだけかもしれませんが)。なので、車の運転手からしたら車道をのろのろ走ってる自転車が邪魔で邪魔で、「歩道走れよこのやろー」ってなってるんじゃないかと思います。そういう訳で中には自転車すれすれを車で追い抜く運転手もいたりします。僕も何度も経験してますが、自転車に乗っててほんとにすれっすれで車に追い越されたことがあります。かなり気分悪くなります。「殺す気かてめー」って心の中で呪いながら、自転車では到底追いつけないスピードで去っていく車のけつを睨んだりしてました。こういう経験をすると、危険とストレスのない走行を求めて自転車で歩道に乗り込んだりしたくもなります。むしろ、それが当たり前と考えるようになります。車道が狭い時は例外として、自転車で歩道を走ってもいいことになってる。ですがそようです。が、それはそれで、歩行者に合わせないといけなかったりで、めんどくさいです。

 

僕の家の周りは歩道も車道も狭いところが多くて、そのくせ車の通りはかなりあるので、自転車乗りには過酷な環境です。自転車に乗ってて車に轢かれたという事故もあったそうです。自転車、車、車道、歩道、すべてに問題があると言う魔境です。なので僕は近場なら基本的に徒歩で移動してます。どうしても時間がない時は自転車を使いますが、他の自転車乗りを見てて、車道を逆走したり車道で何人かで塊になって乗ってる人なんかもいたりして、危なっかしいなーと思いながら見てます。せめて自転車の側で乗り方に注意すればこの危なっかしさが多少は改善されるんじゃないかと思います。まあ自転車乗るのに武勇は必要ないんで、安全第一で行きましょうってことです。

 

以上

近況 もはやニートと自称出来ないほどに働く方向に向かっている最近

昨日、バイトの面接を受けた飲食店から採用の電話がかかってきましたが、辞退しました。僕の方はその面接を通して「あ、ここは多分やばいとこだな」となんとなく感じていて、すくなくともそこよりはましだと思えるスーパーにバイトの申し込みをしていました。スーパーは今バイト募集を頑張ってる時期らしく、多分受かるだろう、と思ったので、飲食店の方は躊躇なく辞退しようと決めていました。恐らく深夜時間にシフト入らないといけないことが多くなっただろうし、面接担当の人がどうもどこか壊れてるようだったしで、下手すると僕の生活リズムと人格に少なからぬ被害が及びそうだったので。電話で「採用します」と言われた後に間髪いれず「あーすいませんやっぱもちょっと考えさせていただきたいです」と応じました。もちろんもっと礼儀正しく、うやうやしく、申し訳なさそうな調子で。向こうも慣れてる様子で了承してくれました。バイトに応募する側に辞退するかどうかの判断をさせるもの面接のひとつの側面です。辞退する権利の行使。

 

そして、今日スーパーの方の面接を受けましたが、従業員同士が楽しそうに会話してるし(もちろん店の裏の事務所で)、午後八時で閉店なので深夜時間帯に働くこともないし、面接担当の人も変な口癖だとか笑顔作っても消えてない刻み込まれた疲労とかがなかったので、「あ、あの飲食店よりかなり健全だ」と感じました。三ヶ月ほど農業バイトやってて力仕事なら問題ないと思うし、髪、服装等見た目に不快な要素もないし、とりあえず八月まではかなり入れるシフトの自由度高いし、受かると思います。自分の対人能力は高いとは思いませんが、レジくらいならなんとかなるでしょう。

 

今はとりあえず、各種支払と奨学金の返済が出来るだけの稼ぎがあればいいので、バイトは週三くらいで考えてます。ベンチャーの有給インターンにも応募してて、両方とも通れば今の僕には十分な稼ぎを得られます。インターンの方は自分に出来ることを習得するためにも応募してますが、採用までに受けているテストがなかなかレベルが高いです。Webコンテンツのライティングテストなんですが、ターゲットを設定して、読者の行動をこっちが望むように誘導することを念頭に置いて書くなんてことしてこなかったので。それに、僕がどれだけ今の世の中を知らないかを痛感しまくりました(ついでに言うと、今Webページの作成やデザイン、プログラミングの勉強もしていて、その界隈の記事をちらっと見てもわけのわからん言葉が飛び交ってたりして、なおさら自分の無知を知りました)。もうそれはそれは、井の中の蛙どころか宇宙の中の地球という星の日本という国の東京という首都の八王子という辺境の安い一人暮らし用のアパートの一室のトイレの中で我が物顔でふらふら飛んでる羽虫ほどにちっこい存在だと思います。でも今の現在地がわかったので果てしないように思える道を敢えて進んでいこうと思います。

 

以上

 

My勉強法for英語 とりあえず書く

唐突ですが、高校までの科目でどれが一番得意だったかというと、ダントツで英語でした。最近履歴書書いたりするときも、「免許・資格」の欄に普通自動車第一種免許と並んでかけるのが英語の資格です。まあそれも中の上か上の下くらいのレベルのものなんですが。でも話す時には結構話せて、ペーパーテストで僕より点数が高い人よりも話せるんじゃないかと僭越ながら思ってます。

 

「あ、俺こんなに英語話せたんだ」と気づいたのが大学入ってすぐ。ネイティブの先生の授業を取っていて、課題の話をしにオフィスに行ったときに英語のみで会話したんですが、思った以上に言おうとしてることが英語で出てきて、自分でもびっくりしました。それまでは、英語どころか日本語すら話す機会が殆どない生活だったので、自分がどんな風に話せるかあんま知らなかったんですね。その後も英語圏出身の学生達と英語で話しながら、ちゃんと意思疎通ができることを確認しました。

 

ではどうやって英語を勉強していたのか。振り返ると、とにかく書くということです。教科書の英語の文章を書いて流れを覚えたり、新しい単語を何回も書いたり。中高の六年間、自習ではそれしかしてませんでした。あ、でも、単語の発音とかは授業中に音声で聞いたり、英語圏出身のALTの方の話てるのを聞いたりして、どういう音なのかを記憶して、それを書きながら頭の中で思い出す、という感じでした。だから、聞いた音を頭の中で繰り返すことが出来る方法なら書く以外でもいいのかもしれません。僕の場合は手を動かすことで記憶に定着しやすかったのかと思います。特に新しい単語は。

 

あとは、日記を書くことでしょうか。自分が「これ言いたい」と思った単語を辞書で調べたりして、それを日記で使っていくとか。自分の好きな表現や言葉を日本語から英語に訳して、メモとかに書いておくとかってこともしてました。そうしてると楽しいので。そんな風に勉強してました。昨日インド人の友達とチャットしててこの記事書こうと思いました。

 

以上

飲食チェーン店のバイトの面接の話

さっき、某飲食チェーン店のバイトの面接に行ってきました。今住んでるアパートの近くで手軽に応募できるバイト先として見つけたところです。飲食店でバイトはしたことないんですが、履歴書不要とのことだったので楽だし応募してみるか、というのが数日前。そういうわけで今朝面接。どんな感じだったかを紹介します。

 

 

面接は、その飲食チェーン店の裏口から入ってすぐの詰め所のようなところで行いました。スーツを着たやせた男性の方(多分30代?以後Sさん)が出迎えてくれて、そのまま面接。まず最初にエントリーシートという、簡単な履歴書的なのを書きました。氏名、生年月日、住所、連絡先、学歴、だけの簡単なものでした。

 

書き終わったらその書類を手渡して、そこから仕事の説明をしてもらったり質疑応答などを行いました。勤務時間は11:00から深夜2:00までで、今の従業員の構成的に僕は深夜勤務(21:00~2:00)が多くなりそうとのこと。ほんとは深夜勤務はしたくないんですが、お客さんの相手をなるべくしなくていいならアリかな、と思いました。というか、明らかにもっと人が欲しいという雰囲気がありました。辞める人が多いということかと思います。

 

面接の中で、お金を払う以上はプロとして働いてほしい、と言われましたが、僕はこれを聞いて「あーここは違うなー」とうっすら感じました。時給950円でプロの仕事しろって言われても。バイトの考え方が違うなーと。何をすればいいかを教えてもらって、それをするのは当然として、プロ意識ってなんやねん、と思う訳です。たかがバイトにそんな熱もって働いてもらえると思っているのか、と心の中でぼやいてました。

 

でも要するに、お客に不快に思われることは絶対にするな、ということのようです。僕はそこで初めて聞かされたんですが、この某飲食チェーン店では過去かなりのイメージダウンにつながる事故が起きていました。それというのが、従業員がキッチン作業の際、刃物で誤って指を切断してその指が商品に入っちゃっててそれが気づかれずそのままお客さんに出されてしまったというもの。映画のアウトレイジで出てきたような指入りラーメン事件です。

 

そんなことがあって、この飲食チェーン店は評判が劇的に落ちて、また同じようなことがあったら倒産するだろう、ということでした。それほどの事故ではなくても、お客からクレームが来そうなことは断じてするな、と。だからバイトであれ、プロ意識を持って云々という話をされたのかと思います。プロ意識がなくてもクレームが来ないようにマニュアルに従っていれば大丈夫なんでしょうけど。

 

 

今この職場に対して不安に思っていること。シフトが希望通りに入れられるか。面接では週三日で一日五時間を上限にしてほしい、という希望を伝えました。Sさん曰く、まあ大丈夫でしょう。でもどうも時間が経つにつれて無茶なシフトをお願いしてくるんじゃないかと不信感が募っています。面接の時は始終柔和な態度だったSさんも、働き始めると豹変して「責任もってやれやわれー」とかって言ってくるんじゃないかとビビってます。まあSさんも話の合間に異常に「うん」と入れてきて、「シフトはねー、うん、どうしても忙しかったら変更はできるし、うん、まあ最終的には俺が体はって、うん、なんとかするし大丈夫だよ、うん」といった感じで、恐らくやっぱり疲労とストレスの溜まってるんじゃないかと思います。そして溜まってる人間が噴火すると怖い。恐らくSさんと僕とでは、バイトとしての働き方に対する考えが違うので、いつかそのギャップがややこしい問題を起こすんじゃないかと不安です。

 

それと、接客態度。接客の仕事はしたことないんですが、多分自分は苦手だろうなーと思ってます。写真取るときに笑顔を作ることさえできないような人間なので。明るく接客、というのが基本なんでしょうが、それは自分にかなり無理を強いる仕事なんじゃないかと不安です。そしてそんな接客で客を不快にさせると、多分ヒューマンエラーということで「てめえそれくらい出来るだろちゃんとやれよなめてんのか」ってことになるかと思います。でももしかしたら奇跡の大逆転が起きて、やむを得ず形から入ったけどそのうちほんとに明るく接客できるようになって、人間の潜在能力を開花させるという結果もあるかも、と前向きに考えておきます。ちなみに、接客のマニュアルに従ってそれでもお客によっては文句を言ってくることが稀にあるそうですが、そういうのはおとがめなしだそうです。

 

一方メリットというか、安心できるところ。システムエラー(誰かの不注意とか以外の原因で起きるエラーと僕は解釈してます)についてはしょうがない、と割り切ること。でもまあこれはどこまで割り切られるかわかりませんが。誰かの責任にはならなくても、客へのサービスに多少とも支障は出るだろうし、そうなると職場の雰囲気は悪くなるでしょうし、起きないにこしたことはありません。

 

他に、ノルマがない。これバイトなら普通当たり前なんですが、コンビニバイトの話とか見てると、クリスマスケーキ買わされるとかあるようなので。この飲食チェーンでは、上の方がチェーン店にノルマを強く押し付けることがないそうなので、最下層の僕らバイトでもノルマによる圧迫はないとのこと。ただ、お客からクレームが飛んでこないように細心の注意を払ってサバイブすること。

 

そんな感じです。詰まんない結論ですけど、実際に働いてみないと実態はわかんないですね。

 

以上

ニート、労働に追いやられる

最近ドットインストールというサイトでHTMLの勉強をしています。三分くらいの短い動画で区切りながら進められるので、確実にちょこちょこ出来ることが増えるというすばらしいサイトです。お金をかけずに何かを学べるとは。。。もっと早く知っておきたかった。。。

 

さて最近は、農業バイトでためていた貯金の底が見えてきて、また稼がなくてはならない状況にあります。ネットでの稼ぎだけではとても、全く、家賃、水道光熱費、食費、奨学金の返済、通信料、年金の支払が追いつきません。なので有給のインターンとバイトをやってみようと。インドにもまた行きたいので、せめて月15万円は稼いでいたいんですが、どうなることやらです。

 

坂口安吾の「堕落論」にて、人間どこまでも堕ち続けるなんてことはできやしない、というようなことを言ってたのを読んだ気がします。かなり前のことなので確かじゃないんですが、多分そんなようなことです。今の自分はこの一ヶ月のぐうたらな生活を通して腐りに腐ったメンタルなんですが、それでも腐って発酵して菌をばらまくような惨事を起こす前に、冷凍庫の中に放り込まれて腐敗が止まって、さらにそこから徐々に腐った部分がとれて復活していったらいいなと思ってます。

 

とまあ、暗い調子で書いてるように見えるかもですが、気分は比較的明るいです。普段が軽い鬱みたいな状態なだけかもしれませんが。 最近読んだ森見登美彦著「四畳半王国見聞録」のおかげかもしれません。敷居の低い家に入ってそれと同じくらい低い出口から出たくらいの、特に何の教養も得るところもない内容なんですが、今みたいな気分の時に読むといい感じに笑えます。

 

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それと、三年前からファンになっていたRADWIMPSのCDを、金がないにもかかわらず四枚も買ってしまいました。殆どの曲はYoutubeで聞けるんですが、曲の趣向がCDでまとまってたり(なんとなくそう感じるだけですが)、自分が「これはすごい!」と思うものにちゃんと対価を払ったと言う自信が出たりと、買って損は全くなかったと感じます。もちろんこの作品に励まされたり癒されたりするところも大です。これからしっかり稼がないといけませんが。そしてまだ買ってないCDを買います。

 

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そんな訳で、そこそこ元気です。

 

以上

愛の反対は憎しみではなく無関心です byマザーテレサ 

 

マザーテレサの名言に「愛の反対は憎しみではなく無関心です」というのがあります。

 

たしかにそうなんだろうな、と思います。僕が僕の家族をどう捉えて生きているのかを考えると。まず愛情はありません。じゃあ憎んでいるかというとそうでもありません。僕の世界から僕の家族はいないことにしたいという存在否定の願望があって、それはまさに家族への無関心の果てにあるものだと思います。

 

家族のことが憎いと思ったことはなかったと思います。小学校の三年目か四年目かの時に、自分が家の中で見せる顔と学校にいるときや友人と一緒にいるときに見せる顔とが違いすぎて、そういうの恥ずかしいなと思ったので、この二つの世界が交わることのないように細心の注意を払って生きてました。だからうちに友達を呼んだことはないし、学校に親が授業参観とか運動会とかで来ても、会わないようにしてました。そのうち、家の中で、親同士で小馬鹿にし合ってるのを薄々感じるようになったり、親同士でまともにコミュニケーションがとれてないのを悟るようになったり、親が自分で言ったことも守れてないことを確信したりするにつれて、しらけ、親と関わることを避けるようになりました。兄妹に対しても、責任感のなさ、だらしなさ、自分勝手な振る舞い、などの理由で軽蔑するようになり、こっちとも口をきかなくなり、目を合わせることもなくなり、家の中での僕の顔は無表情のデスマスクみたくなりました。僕の家の中での顔は家の中の状態だけを反映するので、家族の誰とも可能な限り関係を断つようにすると、そうなるわけです。

 

家族に無関心でいることにしたのは、自分が家族から無関心でいてもらいたいから、というのもあるんじゃないかと思うのでちょっと書いておきます。まず、親を見ているとなんとも哀れでしょうがないのです。妹も兄もだらしなくて、親が作った飯も食わないし掃除はじめ一切の家事を手伝わない。それでも親は親としての責任を果たそうとする。もういいよ。親なんかじゃなくて。そうずっと思ってました。もうあんたら親やるの無理だから。辞めなよ。そう思いながら、この変わらない家族ごっこを眺めていました。今でも実家に帰るたびに後悔するんですが、それはこの状況があんま変わってないからです。僕自身もそうですが、他の二人もそれなりに社会不適合者なので、未だにあの家から出て自立することが出来てないようです。だから今も親はあの頃の調子で親をやってます。相変わらず見るに絶えない状況があの家の中で展開されている訳です。親が子供に無関心になればこの惨めさはなくなると思ってます。だから僕は親に対して無関心を貫き、親がいつか子供に無関心になったらいいなと思ってます。

 

いや、無関心とはちょっと違うのかも知れません。僕は親に関して、あんなでかすぎる一軒家なんて売っぱらって小ぢんまりしたお金のかからない生活をすればどうだろうとか、退職した後にぼけないようにプライベートの人間関係を今のうちにしっかり作っておくべきだろうとか、そういったことを考えることがあります。それだけですが。それを言ったところでなにかしそうにもないなと思ってるんで、言ったことはありません。でも完全に無関心ってわけではないのかも知れません。

 

親には感謝するべきだ、というのは世界共通の価値観だとは思います。僕が今生きてるのも大学生やってるのも親のおかげです。でもそれを恩返しとして返すとしたら、お金で返します。それも直接顔を会わせない方法で。肩たたきとか一緒に旅行行くとか、そんな感じの恩返しはまずないでしょう。というか今後できれば顔を会わせることも避けたいと思ってます。これまでの借りは生きてるうちに返したいとは思ってます。その後はより親に対して無関心になるでしょう。

 

以上

インドで出会った友を偲ぶ

もう二年前の話です。インドにいたとき。仕事を辞めてなんとなくインドに来たって方とゲストハウスのドミトリーで一緒になり、そこそこ仲良くなりました。その方はアスペルガー症候群なる病を持っていて、社会の大多数の人にはなんのことなくこなせるような仕事ができなかったり時間がかかったりするそうです。でも見た目にはなにか他の人と違うようなところは見えないんで、会社ではただ「仕事の出来ない奴」ということにされていて、それがどんどん高じていわゆる社内いじめにさらされることになり、それに耐えられず会社を辞めてインドに来たということでした。

 

自分にあってない仕事を辞めるという彼の判断には心底からの賛同、そして仕事を辞めてとりあえずインドに来るというわけわかんなさには心底からの共感を覚えた僕は、彼と仲良くするに吝か(やぶさか)ではありませんでした。

 

思えば僕自身も、たいていの人にはできて自分にできないことがよくあるせいで人の中にいることが超絶にめんどくさくなることが多々あります。愛想笑いができず、どうでもいいと思ってる話にさも面白そうにつきあうことができず、わかんないのに「だよねー」とか「わかるー」とか感じのいい相づちが打てず、歌うことができず、はきはきしゃべることができず、みだしなみに気を使うことができず、面白くないことを黙々と続けることが出来ず、等々。それって「出来ない」んじゃなくて「したくない」だけなんじゃない?って突っ込まれた方、至極妥当な突っ込みです。でも世の中には、ほんとに出来ないことでもそれが周りの人の頭の中にある「こんなんできて当たり前」リストに入っている為に苦しめられている人がある程度いることと思います。

 

何ができて何ができないかを見極めて仕事を選ぶって責任は当人にあるんでしょうが、一旦雇用した以上は雑な人材管理は会社側の責任だと言っておきます。そもそもあんなめんどうさそうな採用活動を長々やってて、応募してくる人をちゃんと見てんのかと思いますが。

 

合わない仕事はさっさと辞めて、合ってそうな仕事を探せばいいやんと心底思います。インドで出会った彼はSNSでの連絡しかしてませんでしたが、今はそのアカウントが消えていて連絡が絶えています。どうしているやら。インドでの出会いのあと、日本でも一回会ったんですが、その時には再就職しててまた会社内で苦労してるとのことでしたので。自殺してなかったらいいんですが。

 

以上