病んだヨギーの日々(2021年4月27日現在)

就職してしまったヨギーの雑記

飲食チェーン店のバイトの面接の話

さっき、某飲食チェーン店のバイトの面接に行ってきました。今住んでるアパートの近くで手軽に応募できるバイト先として見つけたところです。飲食店でバイトはしたことないんですが、履歴書不要とのことだったので楽だし応募してみるか、というのが数日前。そういうわけで今朝面接。どんな感じだったかを紹介します。

 

 

面接は、その飲食チェーン店の裏口から入ってすぐの詰め所のようなところで行いました。スーツを着たやせた男性の方(多分30代?以後Sさん)が出迎えてくれて、そのまま面接。まず最初にエントリーシートという、簡単な履歴書的なのを書きました。氏名、生年月日、住所、連絡先、学歴、だけの簡単なものでした。

 

書き終わったらその書類を手渡して、そこから仕事の説明をしてもらったり質疑応答などを行いました。勤務時間は11:00から深夜2:00までで、今の従業員の構成的に僕は深夜勤務(21:00~2:00)が多くなりそうとのこと。ほんとは深夜勤務はしたくないんですが、お客さんの相手をなるべくしなくていいならアリかな、と思いました。というか、明らかにもっと人が欲しいという雰囲気がありました。辞める人が多いということかと思います。

 

面接の中で、お金を払う以上はプロとして働いてほしい、と言われましたが、僕はこれを聞いて「あーここは違うなー」とうっすら感じました。時給950円でプロの仕事しろって言われても。バイトの考え方が違うなーと。何をすればいいかを教えてもらって、それをするのは当然として、プロ意識ってなんやねん、と思う訳です。たかがバイトにそんな熱もって働いてもらえると思っているのか、と心の中でぼやいてました。

 

でも要するに、お客に不快に思われることは絶対にするな、ということのようです。僕はそこで初めて聞かされたんですが、この某飲食チェーン店では過去かなりのイメージダウンにつながる事故が起きていました。それというのが、従業員がキッチン作業の際、刃物で誤って指を切断してその指が商品に入っちゃっててそれが気づかれずそのままお客さんに出されてしまったというもの。映画のアウトレイジで出てきたような指入りラーメン事件です。

 

そんなことがあって、この飲食チェーン店は評判が劇的に落ちて、また同じようなことがあったら倒産するだろう、ということでした。それほどの事故ではなくても、お客からクレームが来そうなことは断じてするな、と。だからバイトであれ、プロ意識を持って云々という話をされたのかと思います。プロ意識がなくてもクレームが来ないようにマニュアルに従っていれば大丈夫なんでしょうけど。

 

 

今この職場に対して不安に思っていること。シフトが希望通りに入れられるか。面接では週三日で一日五時間を上限にしてほしい、という希望を伝えました。Sさん曰く、まあ大丈夫でしょう。でもどうも時間が経つにつれて無茶なシフトをお願いしてくるんじゃないかと不信感が募っています。面接の時は始終柔和な態度だったSさんも、働き始めると豹変して「責任もってやれやわれー」とかって言ってくるんじゃないかとビビってます。まあSさんも話の合間に異常に「うん」と入れてきて、「シフトはねー、うん、どうしても忙しかったら変更はできるし、うん、まあ最終的には俺が体はって、うん、なんとかするし大丈夫だよ、うん」といった感じで、恐らくやっぱり疲労とストレスの溜まってるんじゃないかと思います。そして溜まってる人間が噴火すると怖い。恐らくSさんと僕とでは、バイトとしての働き方に対する考えが違うので、いつかそのギャップがややこしい問題を起こすんじゃないかと不安です。

 

それと、接客態度。接客の仕事はしたことないんですが、多分自分は苦手だろうなーと思ってます。写真取るときに笑顔を作ることさえできないような人間なので。明るく接客、というのが基本なんでしょうが、それは自分にかなり無理を強いる仕事なんじゃないかと不安です。そしてそんな接客で客を不快にさせると、多分ヒューマンエラーということで「てめえそれくらい出来るだろちゃんとやれよなめてんのか」ってことになるかと思います。でももしかしたら奇跡の大逆転が起きて、やむを得ず形から入ったけどそのうちほんとに明るく接客できるようになって、人間の潜在能力を開花させるという結果もあるかも、と前向きに考えておきます。ちなみに、接客のマニュアルに従ってそれでもお客によっては文句を言ってくることが稀にあるそうですが、そういうのはおとがめなしだそうです。

 

一方メリットというか、安心できるところ。システムエラー(誰かの不注意とか以外の原因で起きるエラーと僕は解釈してます)についてはしょうがない、と割り切ること。でもまあこれはどこまで割り切られるかわかりませんが。誰かの責任にはならなくても、客へのサービスに多少とも支障は出るだろうし、そうなると職場の雰囲気は悪くなるでしょうし、起きないにこしたことはありません。

 

他に、ノルマがない。これバイトなら普通当たり前なんですが、コンビニバイトの話とか見てると、クリスマスケーキ買わされるとかあるようなので。この飲食チェーンでは、上の方がチェーン店にノルマを強く押し付けることがないそうなので、最下層の僕らバイトでもノルマによる圧迫はないとのこと。ただ、お客からクレームが飛んでこないように細心の注意を払ってサバイブすること。

 

そんな感じです。詰まんない結論ですけど、実際に働いてみないと実態はわかんないですね。

 

以上

ニート、労働に追いやられる

最近ドットインストールというサイトでHTMLの勉強をしています。三分くらいの短い動画で区切りながら進められるので、確実にちょこちょこ出来ることが増えるというすばらしいサイトです。お金をかけずに何かを学べるとは。。。もっと早く知っておきたかった。。。

 

さて最近は、農業バイトでためていた貯金の底が見えてきて、また稼がなくてはならない状況にあります。ネットでの稼ぎだけではとても、全く、家賃、水道光熱費、食費、奨学金の返済、通信料、年金の支払が追いつきません。なので有給のインターンとバイトをやってみようと。インドにもまた行きたいので、せめて月15万円は稼いでいたいんですが、どうなることやらです。

 

坂口安吾の「堕落論」にて、人間どこまでも堕ち続けるなんてことはできやしない、というようなことを言ってたのを読んだ気がします。かなり前のことなので確かじゃないんですが、多分そんなようなことです。今の自分はこの一ヶ月のぐうたらな生活を通して腐りに腐ったメンタルなんですが、それでも腐って発酵して菌をばらまくような惨事を起こす前に、冷凍庫の中に放り込まれて腐敗が止まって、さらにそこから徐々に腐った部分がとれて復活していったらいいなと思ってます。

 

とまあ、暗い調子で書いてるように見えるかもですが、気分は比較的明るいです。普段が軽い鬱みたいな状態なだけかもしれませんが。 最近読んだ森見登美彦著「四畳半王国見聞録」のおかげかもしれません。敷居の低い家に入ってそれと同じくらい低い出口から出たくらいの、特に何の教養も得るところもない内容なんですが、今みたいな気分の時に読むといい感じに笑えます。

 

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それと、三年前からファンになっていたRADWIMPSのCDを、金がないにもかかわらず四枚も買ってしまいました。殆どの曲はYoutubeで聞けるんですが、曲の趣向がCDでまとまってたり(なんとなくそう感じるだけですが)、自分が「これはすごい!」と思うものにちゃんと対価を払ったと言う自信が出たりと、買って損は全くなかったと感じます。もちろんこの作品に励まされたり癒されたりするところも大です。これからしっかり稼がないといけませんが。そしてまだ買ってないCDを買います。

 

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そんな訳で、そこそこ元気です。

 

以上

愛の反対は憎しみではなく無関心です byマザーテレサ 

 

マザーテレサの名言に「愛の反対は憎しみではなく無関心です」というのがあります。

 

たしかにそうなんだろうな、と思います。僕が僕の家族をどう捉えて生きているのかを考えると。まず愛情はありません。じゃあ憎んでいるかというとそうでもありません。僕の世界から僕の家族はいないことにしたいという存在否定の願望があって、それはまさに家族への無関心の果てにあるものだと思います。

 

家族のことが憎いと思ったことはなかったと思います。小学校の三年目か四年目かの時に、自分が家の中で見せる顔と学校にいるときや友人と一緒にいるときに見せる顔とが違いすぎて、そういうの恥ずかしいなと思ったので、この二つの世界が交わることのないように細心の注意を払って生きてました。だからうちに友達を呼んだことはないし、学校に親が授業参観とか運動会とかで来ても、会わないようにしてました。そのうち、家の中で、親同士で小馬鹿にし合ってるのを薄々感じるようになったり、親同士でまともにコミュニケーションがとれてないのを悟るようになったり、親が自分で言ったことも守れてないことを確信したりするにつれて、しらけ、親と関わることを避けるようになりました。兄妹に対しても、責任感のなさ、だらしなさ、自分勝手な振る舞い、などの理由で軽蔑するようになり、こっちとも口をきかなくなり、目を合わせることもなくなり、家の中での僕の顔は無表情のデスマスクみたくなりました。僕の家の中での顔は家の中の状態だけを反映するので、家族の誰とも可能な限り関係を断つようにすると、そうなるわけです。

 

家族に無関心でいることにしたのは、自分が家族から無関心でいてもらいたいから、というのもあるんじゃないかと思うのでちょっと書いておきます。まず、親を見ているとなんとも哀れでしょうがないのです。妹も兄もだらしなくて、親が作った飯も食わないし掃除はじめ一切の家事を手伝わない。それでも親は親としての責任を果たそうとする。もういいよ。親なんかじゃなくて。そうずっと思ってました。もうあんたら親やるの無理だから。辞めなよ。そう思いながら、この変わらない家族ごっこを眺めていました。今でも実家に帰るたびに後悔するんですが、それはこの状況があんま変わってないからです。僕自身もそうですが、他の二人もそれなりに社会不適合者なので、未だにあの家から出て自立することが出来てないようです。だから今も親はあの頃の調子で親をやってます。相変わらず見るに絶えない状況があの家の中で展開されている訳です。親が子供に無関心になればこの惨めさはなくなると思ってます。だから僕は親に対して無関心を貫き、親がいつか子供に無関心になったらいいなと思ってます。

 

いや、無関心とはちょっと違うのかも知れません。僕は親に関して、あんなでかすぎる一軒家なんて売っぱらって小ぢんまりしたお金のかからない生活をすればどうだろうとか、退職した後にぼけないようにプライベートの人間関係を今のうちにしっかり作っておくべきだろうとか、そういったことを考えることがあります。それだけですが。それを言ったところでなにかしそうにもないなと思ってるんで、言ったことはありません。でも完全に無関心ってわけではないのかも知れません。

 

親には感謝するべきだ、というのは世界共通の価値観だとは思います。僕が今生きてるのも大学生やってるのも親のおかげです。でもそれを恩返しとして返すとしたら、お金で返します。それも直接顔を会わせない方法で。肩たたきとか一緒に旅行行くとか、そんな感じの恩返しはまずないでしょう。というか今後できれば顔を会わせることも避けたいと思ってます。これまでの借りは生きてるうちに返したいとは思ってます。その後はより親に対して無関心になるでしょう。

 

以上

インドで出会った友を偲ぶ

もう二年前の話です。インドにいたとき。仕事を辞めてなんとなくインドに来たって方とゲストハウスのドミトリーで一緒になり、そこそこ仲良くなりました。その方はアスペルガー症候群なる病を持っていて、社会の大多数の人にはなんのことなくこなせるような仕事ができなかったり時間がかかったりするそうです。でも見た目にはなにか他の人と違うようなところは見えないんで、会社ではただ「仕事の出来ない奴」ということにされていて、それがどんどん高じていわゆる社内いじめにさらされることになり、それに耐えられず会社を辞めてインドに来たということでした。

 

自分にあってない仕事を辞めるという彼の判断には心底からの賛同、そして仕事を辞めてとりあえずインドに来るというわけわかんなさには心底からの共感を覚えた僕は、彼と仲良くするに吝か(やぶさか)ではありませんでした。

 

思えば僕自身も、たいていの人にはできて自分にできないことがよくあるせいで人の中にいることが超絶にめんどくさくなることが多々あります。愛想笑いができず、どうでもいいと思ってる話にさも面白そうにつきあうことができず、わかんないのに「だよねー」とか「わかるー」とか感じのいい相づちが打てず、歌うことができず、はきはきしゃべることができず、みだしなみに気を使うことができず、面白くないことを黙々と続けることが出来ず、等々。それって「出来ない」んじゃなくて「したくない」だけなんじゃない?って突っ込まれた方、至極妥当な突っ込みです。でも世の中には、ほんとに出来ないことでもそれが周りの人の頭の中にある「こんなんできて当たり前」リストに入っている為に苦しめられている人がある程度いることと思います。

 

何ができて何ができないかを見極めて仕事を選ぶって責任は当人にあるんでしょうが、一旦雇用した以上は雑な人材管理は会社側の責任だと言っておきます。そもそもあんなめんどうさそうな採用活動を長々やってて、応募してくる人をちゃんと見てんのかと思いますが。

 

合わない仕事はさっさと辞めて、合ってそうな仕事を探せばいいやんと心底思います。インドで出会った彼はSNSでの連絡しかしてませんでしたが、今はそのアカウントが消えていて連絡が絶えています。どうしているやら。インドでの出会いのあと、日本でも一回会ったんですが、その時には再就職しててまた会社内で苦労してるとのことでしたので。自殺してなかったらいいんですが。

 

以上

かっこいいと思う生き方

沖縄本島から東へ400kmにぽつんと浮かんでいる離島、南大東島。そこでカボチャ農家のバイトをしながら、本州に戻ったときに絶対これやろう、と心に決めたことリストの中に、「ロード・オブ・ザ・リング」3部作をもっかい見る、というものが入ってました。なぜかと言うと特に理由はないんですが、これしたいってことなんてそんなものでいいんじゃないかと思います。

 

で、先日見事3日かけて3部作見ました。第3作目が放映されたのが2003年というから、もう14年も前の映画なんですねー。この映画はもう何度も見てましたが、何度見ても楽しめる映画でした。

 

で、この3部作を連日見てて、一番ぐっときたシーンというのが、第1作目の終盤、ボロミアが弓矢の攻撃を喰らいながらも戦うところでした。このシーンのとき、「あーもうすぐあのシーンだな」とわかっていたにも関わらず、鳥肌が立つくらいに心が動きました。

 

自分が何かに感動した時、その理由を解説するのは得意じゃないので、気になる人は見ましょう「ロード・オブ・ザ・リング」。人によって感じるものは違うでしょう。このシーンを見て「めちゃかっこいい」と思った人は...うん、そういう人がいてくれたら個人的にうれしく思います。

 

「そうだよなー人間なんて私利私欲で動くことばっかだよなー」と思う日々の中で、自分の利害なんてどこ吹く風で人の為に何か出来ると、映画で見たかっこいい生き方に近づけた気がして、生きてるのが楽しくなります。僕の人生が終るまでに、文字通り命をかけて誰かのために何かをするってことがあるかどうかわかりませんが、正しい死生観を育てていきたいと思います。

 

他にもかっこいい生き方はあるだろうし、そういう生き方がずっと出来る訳ではないでしょうけど、たまにでもそういうかっこよさに近づけたら人生いい感じなんじゃないでしょうか。あ、なんかもうめんどくさくなったんで終ります。

 

以上

たまにやる不摂生

現在深夜1時。そんな時間にブログ更新なんてしてます。普段はこんなこと絶対しないんですが。でも今日はこれでいいと思ってます。夜11時にコンビ二でポテチとビスケット買ってきて、Youtubeで「クレイジージャーニー」を見ながら食う。で、このブログ書き終わったら読書でもするとします。今晩はそんな風に過ごそう、それでいい、そう思ってます。

 

普段だと、夜11時か12時には布団に入ってます。寝る4時間前には晩飯食い終わってて、それ以降何か食べるってことはしません。別に我慢してる訳ではなくて、自然にそういう風に過ごしています。が、今日はちょっといつもと違う時間の過ごし方をして、夜帰宅するのが遅くなってしまいました。トランプのカードで三角形の塔を作ってるときに、ちょっと一部崩れたりしたらもう全部手でぶっ飛ばしちゃう質なんですが、そんな感じで日常のスケジュールちょっと狂うと今晩みたく生活習慣ぶっ壊しのモードになったりします。

 

でも毎日同じように過ごすより、たまにこういうめちゃくちゃな時間の使い方してみるのも面白いもんです。何が?と聞かれると言葉にしづらいんですが。小学校の時に風邪で学校休んで、でも実は体調そんなに悪くなくてこっそり遊びに行ったり家で漫画読んでたりするのに似た感じだと思います。他の皆は今頃授業だけど自分だけは全く別の時間の過ごし方をしてるって思うとなんとなく面白かったり。これが残業だとか課題締め切りだとかで徹夜してるってなると話は別で、風邪で高熱が出てかなり苦しい思いしながら学校休んで家で寝てるような状態なんじゃないかと思います。それはつらいだけなのでこれからの人生で出来れば避けて通りたい出来事です。

 

今晩みたいに明らかな不摂生は明日からしばらくは、多分半年以上はすることないでしょう。もしかしたら数年、数十年ないかもしれませんし、これが最後かもしれません。毎晩気持ちよく就寝できる健康な人生を生きていたいです。が、まあたまには変調があったりしても「今日はこういう日か」とその時の気分でだらーっと過ごしていこうと思います。たまになんとなくやってしまうこんな不摂生に自己嫌悪を感じず、今日は風邪かしょうがない、と気楽にやっていこうと思います。何を言いたいかというと、基本健康に気をつけている方がいいけどたまにそれを完全無視するっていう不完全な生き方が人間らしくて楽しいんじゃないかなーと感じてるってことです。自分への言い訳もかねて。

 

以上

「社畜と幽霊」という漫画を読んだ

最近はこれといってすること(しないといけないこと)がないため、食って寝る以外に音楽を聞いたり絵を描いたり漢字を書いたり小旅行の計画立てたり漫画読んだり本読んだりこれから何するか考えたりってことを気の赴くままにやってます。することないから何かしよう、ということでやったことがそのうち収入源になったらいいなと夢見心地です。

 

一方、これやりたいな、と今思ってることにつながるかもしれない事業をしている会社を見つけたりして、「あ、渡りに船じゃん」とかって思ったりしてます。ただ、会社員になるのかーというところが及び腰です。何も悪いことしてないのにあの満員電車という罰ゲームに巻き込まれるのかと思うと。「何これ償い?これ原罪の償い?」とか毎朝思うことになるんでしょう。クリスチャンじゃないけど。こういうのに日々耐えてるってだけで「日本人に宗教はない」なんて主張が的外れなんじゃないかと思えてきます。お金を稼ぐには会社員でいないといけない。そのためにはこの満員電車という苦難を受け入れないといけない。定年退職する時に目の前にあるのは地獄じゃなくて天国なんでしょうか。めでたいですね。

 

そんなこんなで、どうするかは未だ未定です。「腹くくるかーどうしよかな」とかって考えながら、とりあえず漫画でも読もうと思って昨日見つけた漫画で面白いなと思った作品があったので紹介します。ほんとは僕は漫画にしろ音楽にしろ絵にしろ、「あ、これいいな」と思っても友人に勧めたりってのが苦手です。面白さやなにかしらの魅力ってものを伝える熱意がなさ過ぎるので。気になったら暇なときにチェックしてみて、くらいのどうでもいい感じで勧めるのが関の山です。なので今回もそんな感じでこの漫画をお勧めします。勧めると言うか、僕が読んでなんか面白いなと思ったってことを書きます。「社畜と幽霊」という漫画です。

 

となりのヤングジャンプ」という漫画サイトで見つけた漫画です。今全40話。どんな話かというと、社畜を幽霊が驚かそうとするけど、仕事で忙しい社畜はそんなんかまってられるかと全く相手にしてくれないって話です。はい。気になったら暇で暇でしょうがないって時にでも読んでみてください。それだけです。

 

思えば、漫画も本も記事も、とうてい一人で読み切れない量が至る所で出回ってるんでしょう。その中から良いものが発掘されていくには、こんな風にやる気ないながらも「こんなん読んだよ」とかって言っていくのがそこそこ意味があるって気がしてます。そういう意味では、時間を持て余してるニートってもしかしたらかなり価値があるんじゃないかという気がします。良い作品が世に広く認知されるきっかけをつくり、それが後々までのこったりしたら、世代を超える有意義なことをしたってことになるでしょう。良品を見つけるってことに特化したらそれでお金を稼ぐってこともできてくるでしょう。掘り出し屋として自分のブランドを築ければ、それはなかなかの武器になるんじゃないでしょうか。そんな希望あふれることを考えてます。なんか良い時代になりましたね。

 

以上